タグ: 紅茶とりんご

  • 映画「花嫁はどこへ?」Laapataa Ladies

    映画「花嫁はどこへ?」Laapataa Ladies

    映画『花嫁はどこへ?』

    (C)Aamir Khan Films LLP 2024

    監督 キラン・ラオ Kiran Rao
    公開 2024年


  • NHK ETV特集『空蝉の家 ひきこもりの死・家族の記憶』

    NHK ETV特集『空蝉の家 ひきこもりの死・家族の記憶』


    NHK ETV特集『空蝉(うつせみ)の家 ひきこもりの死・家族の記憶』

    (C)NHK

    昨日(2021年12月18日)放送されたドキュメンタリー。
    たまたま見始めたのが、弟が、兄伸一さんの遺体の場所を語りはじめるシーンから。
    状況は最近テレビでよく見るゴミ屋敷風の室内。両親の遺影が出てきて、家のそこここに残された父親の日記や兄のとおぼしきメモなどをたよりに家庭の歴史を振り返っている。
    最後の方のシーンに、市役所の福祉関係の職員と庭先で話す生前の伸一さんの真面目そうなやり取りが出てくるので、このドキュメンタリーがかなり以前から(たまたまだろうが)始まっていたのが分かる。
    主に、父の日記には、たぶん数十年前、「明るい家庭を創る」と目標が書かれている。そして番組としては、その目標とちがった家庭のあり様を描き出している。
    日記をもとに話はすすんでいくので、伸一さんの描写や、それに対する父親の苦悩が番組の太い流れとなっている。
    そこから浮かびあがってくるのが、「父源病」という言葉だ。かつて「母源病」という言葉が流布して、しかしやがて使われなくなってしまったことがあったが、この番組が意図したのは、父の存在が伸一さんの生涯を「ゆがめて」しまった、というテーマがじんわりと浮かびあがってくる。
    と、ここまでが、この番組を見た印象の忠実な記述だが、いろいろ思い返すと、オヤ?、違うのではないの、という引っ掛かりだ。
    伸一さんは、最後まで英語を勉強していた様子があって、わかりやすい字で、英語の慣用句を羅列している。また弟さんの証言のなかで「近くの米軍基地のアメリカ人」が多くいる街中で、アメリカ人との交流を楽しんだかもしれない、というのもある。
    また、タクシー運転手をしている弟さんは、運転中、自宅付近で、伸一さんをしばしば見かけていて、伸一さんも弟さんに視線を返している。
    それは番組中、1パーセントにも満たない時間の中で処理された伸一さんにまつわる情報だ。
    この番組は、「父源病」を浮かび上がらせるかもしれない、という意味で重要で意味があると思うが、一方で、困難な状況のなかで、自分なりに矜持をたもって明るい光もみながら生き抜いた伸一さんのことも忘れたくないと思うし、機会があれば掘り起こしてもらいたいものだ。
    番組の最後で、伸一さんが助けを求めていた、と振り返るシーンがあって、弟さんと、いとこの方が、「生き抜いた」といった意味の結論づけをしていたのは印象的だ。
    最後にもうひとつ付け加えれば、伸一さんと接したことのある人々の印象は、番組のトーンの重さとは異なって、軽さを感じさせることだ。これは、実際に番組後半になって登場する56歳の髭だらけの伸一さんが与える印象とも一致する。
    そういう意味でいうと、伸一さんの存在そのものが、番組の重い底流を押し上げて、おれはそんなものではないよ、と言っているかに思えた。
    再放送の機会があるので、見逃した最初の部分をぜひ見てみたいと思う。

    ©hiroshi sano

    公開 2021年12月18日放送


  • 映画『Dune/デューン 砂の惑星』

    映画『Dune/デューン 砂の惑星』


    映画『Dune/デューン 砂の惑星』

    水と緑のうつくしい惑星から、砂だらけの惑星に、皇帝の命令によってアトレイデス家が移住させられるところから物語は始まる。
    スコットランド風の星から、アラビアの砂漠のような星に舞台は移って一体なにをもって物語を面白くさせるのだろう、という疑念をまず払拭するのがこの物語の根底に課せられている。
    そして、この映画(英語の題名では、Dune part1)の最後の方では、たしかに面白そうだ、という結論に至っている。
    いろいろ人間臭い物語が絡み合っているが、デューンと呼ばれる惑星の面白さをいかに深めるかが、この映画の成功を支えていると思う。
    そこにあるのはただ砂だけで、入り込む生き物の水分を容赦なく奪っていく。砂はスパイスと呼ばれて、じつはいろいろ有用な物質である、という設定はあるものの、過酷な環境であることには変わりない。
    主人公役のティモシー・シャラメは頼りなげだが、内に複雑なひだを感じさせ、目覚めによって強さを付けていく役をこなしている。
    その母親役のレベッカ・ファーガソンは、謎を秘めた芯の強い女性を演じている。
    第2部をまだ見ていないが、この二人が、デューンという惑星の面白さを探索していく、というのが映画のキモなのではないかと思ってた。
    そうだとすれば、この第1部は成功している。
    というか、SF映画として、硬質な奥行きを感じさせてこれまでにない満足感を高めていた。

    監督 ドゥニ・ヴィルヌーヴ
    公開 2021年10月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『ザ・スーサイド・スクワッド』

    映画『ザ・スーサイド・スクワッド』


    映画『ザ・スーサイド・スクワッド』

    子どもにはおすすめできないし、一部大人にも、陰惨な殺戮が多いので、おすすめではないかもしれない。
    けれど、このSFチックで、ファンタジーっぽい映画が、あえて表現を探せば、ぶっ飛んでいる!、というのがぴったりだ。
    その中身だが、見る側の展開の期待を裏切るシーンが、数回はある。ただし、その期待の裏切り方が、おおよそ殺戮によるのが残念だ。
    作る側の悪ふざけも頻繁にあるが、度が過ぎていないのがいい。
    映画を展開させていく強力なモーティベーションがいくつかあって、娘を人質にされて隊長を引き受けさせられた武器に詳しい男と、ネズミを操る少女との約束の取り交わしが印象的だ。
    もちろん、どんな状況でも生き延びてしまうハーレイ・クインのお約束ごとは最強だ。
    その他、アメリカが隠し続ける宇宙生物の培養施設を敵の手に渡さないミッションなどもある。
    中身が充実している、という意味でも強みを持った映画だ。
    これは本当に偶然だが、あの『ジョジョ・ラビット』のタイカ・ワティティがネズミつかいの少女の父親役で出演していたのも、うれしい驚きだった。
    これは蛇足だが、アメリカの現実が、茶化された殺戮の中に投影されているような気がする。

    ©hiroshi sano

    監督 ジェームズ・ガン
    公開 2021年8月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『竜とそばかすの姫』

    映画『竜とそばかすの姫』


    映画『竜とそばかすの姫』

    要するに、仮想デジタル空間のなかで、アバターを脱ぎ捨てて、コミュニケーションをとりたい相手に接することも、必要だ、ということのようだ。
    どちらかというと、クリエイティビティーが少なすぎる。唯一、それがあると感じられるのは、竜がじつは遠くで虐待を受けていた少年だった、という点だろうか。
    はじめから4分の3くらいまでは、脈絡もなく、必然性もなく、伏線とおぼしき場面をちらばせて、つながっていく。セリフにも深みが欠ける。
    宮崎駿やディズニーのアニメからや、「魔法少女まどか☆マギカ」かららしきキャラクターが、堂々と重要な脇役を演じている。これをオマージュとでも呼ぶのだろうか。筋みちにオリジナリティのダイナミックさが欠けているので、剽窃にしか見えないので、とまどったあげくに失笑してしまう。
    唯一のみどころは、Bellの歌謡ショーの部分だ。実際に歌っている中村佳穂には十分に惹きつけられた。
    それにしてもこの大作には、あざとさを感じてしまった。

    監督 細田守
    公開 2021年7月

    私的オススメの映画


  • 映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』

    映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』


    映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』

    (C)Focus Features

    叙事詩のように、淡々と最後に再び現れる題名に向かって積みあがっていく映画だ。
    友人を死に追いやった男たちへの怒りと、復讐の道筋をつつむ心情は、深くて壮大だ。
    この無念をどう描いたらよいのかわからない、という迷いに突き動かされるようにこの映画は始まる。
    前半に描かれるのは、主人公の心情のありどころだが、心を、可視化すればこのような場面になる、という展開が、観る側をいやみなく引き付ける。
    中盤では、ひょっとしたら幸せになれるかもしれない、ボーイフレンドとのこころを通わせる時間がたたみかけるように映し出される。
    それが裏切られるところから、復讐劇は一気に進んでいく。
    そして、最後にすべての出来事が終わった時に、題名の意味が反転することになる。
    ただひとつの目的のために人生のすべてをかける主人公役のキャリー・マリガンの力は大きかった。悲しみの中に意志の強さと、怒りとを表現して映画をけん引する。その目にはさまざまな色彩の憂いがあった。
    この映画で唯一描かれていなかったのが、主人公の動機となった友人の死、だが、描かないことによって、観る側を最後まで引き付ける、という効果もあった。
    そのことによって、主人公の抑制された心情が深みと壮大さを勝ち得たのだと思う。
    (h.s)

    監督 エメラルド・フェネル
    公開 2021年7月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『星空のむこうの国』

    映画『星空のむこうの国』


    映画『星空のむこうの国』

    (C)映画『星空のむこうの国』製作委員会

    最後の数カットがこの映画のキモで、ここで観客は、ああよかったと思う。ただし、そこにいたるまでは、低レベルの作り。
    俳優の演技のバランスが悪い。例えば、若い医師役の俳優がなぜこれほどテンションが高いのかは不明。
    複数の俳優が絡む場面では心情のレベルでかみ合っていない。
    ただし、最後の数カットでこの映画は成立したので、大まかにサマライズすると、二つのパラレルワールドを舞台として切ない若い恋のやり取りがある、が、実は第三のパラレルワールドで明るい未来を予想できる、という筋書きだ。
    シリウス流星群がきっかけ、という設定に出会ってしまったとたんに、陳腐な既視感が醸し出されるのが残念だ。

    (h.s)

    監督 小中和哉
    公開 2021年7月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『共謀家族』は人間臭いがドライ!

    映画『共謀家族』は人間臭いがドライ!


    映画『共謀家族』

    ちょっとしたパズル感覚があるので、映画好きは引き付けられやすい筋立てだ。
    タイに住むある一家に起きる事件だが、主人公はもともとは中国からの移民だ。働きもので、町の人々からは信頼されている。そのあたりの生活の様子は、タイが舞台だとなかなか悟れないのでややまとめきれない印象だ。
    事件が起きて、家族が真相を隠すためにまとまる、といったところから一気に物語は進んでいく。
    映画好きの主人公が、これまでに観た犯罪映画の知識を駆使して、警察の尋問をかいくぐって行く場面が、この映画の見どころとして設定されている。
    この映画を観る側も、ある程度の映画好きならば、とても共感できるようなシーンが連続する。
    取り調べるのはこわもての女性の警察署長で、実は、事件の発端である、一家に殺された青年は、実はこの女性が母親として甘やかして育てた実の息子という設定だ。この青年に暴行された娘の一家と、女性署長の対立がつよい感情の対立軸になって、終盤にむけて、生の対立にまで昇華する。
    もともとのインド映画のリメイクだということだ。リメイクにありがちな、ぎこちなさがひょっとして残っているのかもしれないと感じさせるところもある。
    生の人間の生死の対決や、民衆の暴動も巻き込んだ設定など、知的な謎解き風の展開なども含めて、なぜか、黒沢明を連想させた。
    隣人に愛されて、人のよい父親が、やがて理性に支えられた強い意志をもった存在へと変貌していく。そうした隠れたドラマもあるのだが、すじだてのかまびすしさに紛れているのがもったいないと言えるかもしれない。

    監督 サム・クァー
    公開 2021年7月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『ブラック・ウィドウ』は家族の話?

    映画『ブラック・ウィドウ』は家族の話?


    映画『ブラック・ウィドウ』

    いくつもの山があって、バランスよくつながって、最後の悪の巣窟の撲滅につながっていく。
    まず、ブラック・ウィドウの幼少からの生い立ちと、数年ぶりに会った姉妹の闘いがあり、次に父親の脱獄を図るシーン、そして母親と再会するシーンが、ひとつひとつ趣のことなるアクションで連続していく。
    一番最後の、悪の本拠地を破壊するシーンはしつこくなく、嫌味なく、淡々とアクションが積み重なっていくのが程よいスリルで、演出のうまいところなのだろう。
    じつは、この映画は、スーパーヒーローもののアベンジャーズシリーズの間に挟まれる時期の話らしい。ので、アベンジャーズに描かれる突拍子もないアクションシーンと比べて、あえて張り合うこともない、といった認識でもあったのだろうか。
    テーマは家族の絆。主人公が幼いころ、ロシア側のスパイとして偽の家族を営んでアメリカで生活していたところから始まる。偽りの家族ではあったが、いかにして、家族の絆を確かめ合っていくのか、という道筋にそって映画は進んでいく。
    そして、物語を大きく動かしていくのが、悪の傭兵たちを、洗脳からの解放する薬品の争奪をめぐる戦いだ。まだ洗脳を解かれていない、傭兵たちと戦わなければならないシーンが初期から連綿と起きていく。悪の本拠地の破壊を、主人公たちの目的とするところから、ダイナミックさが増していく。後半、傭兵たちは薬品によって洗脳を解かれ、主人公は世界中に散らばる搾取され、傭兵とされた少女たちの居場所を突き止める。そして、本拠地の破壊につながっていく。
    なぜ、ながながとあらすじめいたことを書いたかというと、この映画の原動力のありかを示すためだ。
    もともと映画の力は流れの必然を設定するのとは別のところにもある。
    しかし、この映画はこうした緻密な筋立てによって、厚みを感じさせるものになっていた。

    監督 ケイト・ショートランド
    公開 2021年7月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『アジアの天使』は出たとこ勝負か?

    映画『アジアの天使』は出たとこ勝負か?


    映画『アジアの天使』

    『アジアの天使』はガタピシしていた出だしがだんだん落ち着いてきて、恋愛ドラマに収れんしていく映画。
    一応「アジアの天使」が登場するので、看板は偽っていはいない。しかしでこぼこ感はずっとつづくので、ふさわしい題名は何だ、とか、三題噺ではないだろうか、とか、没入しきれないで観てしまうきらいはある。
    主役の池松壮亮は感情を爆発させる場面は違和感があった。いづれも主題(たぶん他者を大切にする愛情)とは関係ない場面だったので主人公のエキセントリックさを強調するだけに終わった。
    オダギリジョーは、(おそらく)アドリブのシーンでハシャギ過ぎが鼻についた。
    一方韓国の俳優はいづれも見事で魅力があった。
    しかし、ガタピシした感じはやがてこの映画の豊な可能性として余韻を残していく。
    ストーリーは日本人の兄弟が、韓国人の家族とたまたま同じ列車に乗り合わせて、その墓参りについていくというもの。連れの子どもがオシッコをしたくなったり、韓国人のヒロインがお腹が痛くなったり、韓国人のおばさんの家で歓待されたりする。途中ヒロインが 所属する芸能プロダクション社長とのつらいエピソードが入ったりする。
    いちおう映画の社会性を担保する骨組みの要素(妻の死、悪徳芸能プロ社長、つらいソウルでの生活)は入っている。
    しかし、映画のメインの旅自体には、韓国の家族の側にも、日本人の側にも、理由も必然性もなかったことが明かされる。
    だから、出来事の断片をつなぎ合わせた、だけ、という痕跡をのこしつつ、じつはこれこそが映画の隠れたテーマだったりする作品だ。
    そういういみでは、オダギリジョーのハシャギ過ぎのアドリブは、映画全体の意味を暗示している。
    唐突なお笑い芸人のような天使ももう一つの隠れたテーマだ。
    誤解を恐れずに言えば、出たとこ勝負を力業でまとめあげた映画、と言えると思う。ここには洗練はないが、可能性はたしかにある、という意味で、観た後、腑に落ちた。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 石井裕也
    公開 2021年7月

    評価
    4/5

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    https://youtu.be/ld0C39UiAO8

    © 2021.Hiroshi Sano

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    © 2021.Hiroshi Sano