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  • 映画『潮騒』主演吉永小百合

    佐野 ヒロシ

    日本映画の「愛」はなんだ その1

    映画『潮騒』 主演吉永小百合

    日本映画の「愛」について、がぜん興味がわいてきた。愛と言えば、なんとなく吉永小百合が見たくなって、『潮騒』をDVDで観た。 『潮騒』は、若い男女が衣服を脱いで向き合う、というのがお決まりの映画で、ほかに山口百恵主演やいくつかバージョンがあるらしい。

    ちいさな島が舞台である。若い初江と新治の物語である。浜で働く初江を初めて見て、新治は好きになる。初江も好意をもつ。新治は少年の初々しい気持ちを残した漁師だ。ある日、島の廃屋で偶然二人は会って、再会を望むが、嵐の日に会おう、と約束する。嵐になれば、新治は漁に出なくていいからだ。とここまでが、前半だ。

    さて、その日から新治は天気が気になってしょうがない。漁師なら嵐はいやなはずだが、嵐が来そうにないとがっかりする新治、というコミカルなシーンがあって、いよいよ嵐の日がやってきた。

    ここから第一のクライマックスがやってくる。早めに着いた新治は待ち疲れて、たき火をしたままうとうとと寝てしまう。嵐の中を遅れてやってきた初江は全身雨にあたってぐっしょり濡れている。たき火を見つけると、さむさに震える初江は服を脱いで乾かそうとする。薪の陰で寝ている新治は、初江に気がつくが、その裸のすがた(たぶん美しい)にびっくりして立ち上がって近づこうとする。すると初江は、来てはだめだと言う。なぜか、と新治が問うと、恥ずかしい、と答えが返った。では、どうしたら恥ずかしくないか、と問うと、新治にも裸になれ、と言う。

    新治は上半身を裸になるが、初江は、それでは不十分だ、と言うのである。そこで、新治は下をとる。新治はもじもじする。すると、おどろくなかれ、初江は新治にむかって、足元の火を飛び越えて、来い!、というのである。新治は飛び越えた。(中略  愛について考察するには、このあとの驚くべき展開をあらすじごと書かなければならないのに気が付いた。)
    (中略 これほど手ごわい映画ははじめてだ。たぶん原作がしっかりしているからだろう。)
    この後二人は、愛をはぐくむのだが、世間(島の人々)の干渉(?)を乗り越えなければならない。
    二人が夜陰に山道から降りてくるのを目撃した、灯台守の娘が、初江の婚約者に、告げ口をする。島の子どもたちが、二人は出来ている、とはしゃいで島中を駆け巡る。初江は婚約者に、犯されそうになる。(つづく)

    (hs)

    監督 森永健次郎
    公開 1964年4月

    評価
    4/5

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