タグ: 佐野ヒロシ

  • 映画「花嫁はどこへ?」Laapataa Ladies

    映画「花嫁はどこへ?」Laapataa Ladies

    映画『花嫁はどこへ?』

    (C)Aamir Khan Films LLP 2024

    監督 キラン・ラオ Kiran Rao
    公開 2024年


  • 映画『竜とそばかすの姫』

    映画『竜とそばかすの姫』


    映画『竜とそばかすの姫』

    要するに、仮想デジタル空間のなかで、アバターを脱ぎ捨てて、コミュニケーションをとりたい相手に接することも、必要だ、ということのようだ。
    どちらかというと、クリエイティビティーが少なすぎる。唯一、それがあると感じられるのは、竜がじつは遠くで虐待を受けていた少年だった、という点だろうか。
    はじめから4分の3くらいまでは、脈絡もなく、必然性もなく、伏線とおぼしき場面をちらばせて、つながっていく。セリフにも深みが欠ける。
    宮崎駿やディズニーのアニメからや、「魔法少女まどか☆マギカ」かららしきキャラクターが、堂々と重要な脇役を演じている。これをオマージュとでも呼ぶのだろうか。筋みちにオリジナリティのダイナミックさが欠けているので、剽窃にしか見えないので、とまどったあげくに失笑してしまう。
    唯一のみどころは、Bellの歌謡ショーの部分だ。実際に歌っている中村佳穂には十分に惹きつけられた。
    それにしてもこの大作には、あざとさを感じてしまった。

    監督 細田守
    公開 2021年7月

    私的オススメの映画


  • 映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』

    映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』


    映画『プロミシング・ヤング・ウーマン』

    (C)Focus Features

    叙事詩のように、淡々と最後に再び現れる題名に向かって積みあがっていく映画だ。
    友人を死に追いやった男たちへの怒りと、復讐の道筋をつつむ心情は、深くて壮大だ。
    この無念をどう描いたらよいのかわからない、という迷いに突き動かされるようにこの映画は始まる。
    前半に描かれるのは、主人公の心情のありどころだが、心を、可視化すればこのような場面になる、という展開が、観る側をいやみなく引き付ける。
    中盤では、ひょっとしたら幸せになれるかもしれない、ボーイフレンドとのこころを通わせる時間がたたみかけるように映し出される。
    それが裏切られるところから、復讐劇は一気に進んでいく。
    そして、最後にすべての出来事が終わった時に、題名の意味が反転することになる。
    ただひとつの目的のために人生のすべてをかける主人公役のキャリー・マリガンの力は大きかった。悲しみの中に意志の強さと、怒りとを表現して映画をけん引する。その目にはさまざまな色彩の憂いがあった。
    この映画で唯一描かれていなかったのが、主人公の動機となった友人の死、だが、描かないことによって、観る側を最後まで引き付ける、という効果もあった。
    そのことによって、主人公の抑制された心情が深みと壮大さを勝ち得たのだと思う。
    (h.s)

    監督 エメラルド・フェネル
    公開 2021年7月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『星空のむこうの国』

    映画『星空のむこうの国』


    映画『星空のむこうの国』

    (C)映画『星空のむこうの国』製作委員会

    最後の数カットがこの映画のキモで、ここで観客は、ああよかったと思う。ただし、そこにいたるまでは、低レベルの作り。
    俳優の演技のバランスが悪い。例えば、若い医師役の俳優がなぜこれほどテンションが高いのかは不明。
    複数の俳優が絡む場面では心情のレベルでかみ合っていない。
    ただし、最後の数カットでこの映画は成立したので、大まかにサマライズすると、二つのパラレルワールドを舞台として切ない若い恋のやり取りがある、が、実は第三のパラレルワールドで明るい未来を予想できる、という筋書きだ。
    シリウス流星群がきっかけ、という設定に出会ってしまったとたんに、陳腐な既視感が醸し出されるのが残念だ。

    (h.s)

    監督 小中和哉
    公開 2021年7月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『共謀家族』は人間臭いがドライ!

    映画『共謀家族』は人間臭いがドライ!


    映画『共謀家族』

    ちょっとしたパズル感覚があるので、映画好きは引き付けられやすい筋立てだ。
    タイに住むある一家に起きる事件だが、主人公はもともとは中国からの移民だ。働きもので、町の人々からは信頼されている。そのあたりの生活の様子は、タイが舞台だとなかなか悟れないのでややまとめきれない印象だ。
    事件が起きて、家族が真相を隠すためにまとまる、といったところから一気に物語は進んでいく。
    映画好きの主人公が、これまでに観た犯罪映画の知識を駆使して、警察の尋問をかいくぐって行く場面が、この映画の見どころとして設定されている。
    この映画を観る側も、ある程度の映画好きならば、とても共感できるようなシーンが連続する。
    取り調べるのはこわもての女性の警察署長で、実は、事件の発端である、一家に殺された青年は、実はこの女性が母親として甘やかして育てた実の息子という設定だ。この青年に暴行された娘の一家と、女性署長の対立がつよい感情の対立軸になって、終盤にむけて、生の対立にまで昇華する。
    もともとのインド映画のリメイクだということだ。リメイクにありがちな、ぎこちなさがひょっとして残っているのかもしれないと感じさせるところもある。
    生の人間の生死の対決や、民衆の暴動も巻き込んだ設定など、知的な謎解き風の展開なども含めて、なぜか、黒沢明を連想させた。
    隣人に愛されて、人のよい父親が、やがて理性に支えられた強い意志をもった存在へと変貌していく。そうした隠れたドラマもあるのだが、すじだてのかまびすしさに紛れているのがもったいないと言えるかもしれない。

    監督 サム・クァー
    公開 2021年7月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『ブラック・ウィドウ』は家族の話?

    映画『ブラック・ウィドウ』は家族の話?


    映画『ブラック・ウィドウ』

    いくつもの山があって、バランスよくつながって、最後の悪の巣窟の撲滅につながっていく。
    まず、ブラック・ウィドウの幼少からの生い立ちと、数年ぶりに会った姉妹の闘いがあり、次に父親の脱獄を図るシーン、そして母親と再会するシーンが、ひとつひとつ趣のことなるアクションで連続していく。
    一番最後の、悪の本拠地を破壊するシーンはしつこくなく、嫌味なく、淡々とアクションが積み重なっていくのが程よいスリルで、演出のうまいところなのだろう。
    じつは、この映画は、スーパーヒーローもののアベンジャーズシリーズの間に挟まれる時期の話らしい。ので、アベンジャーズに描かれる突拍子もないアクションシーンと比べて、あえて張り合うこともない、といった認識でもあったのだろうか。
    テーマは家族の絆。主人公が幼いころ、ロシア側のスパイとして偽の家族を営んでアメリカで生活していたところから始まる。偽りの家族ではあったが、いかにして、家族の絆を確かめ合っていくのか、という道筋にそって映画は進んでいく。
    そして、物語を大きく動かしていくのが、悪の傭兵たちを、洗脳からの解放する薬品の争奪をめぐる戦いだ。まだ洗脳を解かれていない、傭兵たちと戦わなければならないシーンが初期から連綿と起きていく。悪の本拠地の破壊を、主人公たちの目的とするところから、ダイナミックさが増していく。後半、傭兵たちは薬品によって洗脳を解かれ、主人公は世界中に散らばる搾取され、傭兵とされた少女たちの居場所を突き止める。そして、本拠地の破壊につながっていく。
    なぜ、ながながとあらすじめいたことを書いたかというと、この映画の原動力のありかを示すためだ。
    もともと映画の力は流れの必然を設定するのとは別のところにもある。
    しかし、この映画はこうした緻密な筋立てによって、厚みを感じさせるものになっていた。

    監督 ケイト・ショートランド
    公開 2021年7月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『アジアの天使』は出たとこ勝負か?

    映画『アジアの天使』は出たとこ勝負か?


    映画『アジアの天使』

    『アジアの天使』はガタピシしていた出だしがだんだん落ち着いてきて、恋愛ドラマに収れんしていく映画。
    一応「アジアの天使」が登場するので、看板は偽っていはいない。しかしでこぼこ感はずっとつづくので、ふさわしい題名は何だ、とか、三題噺ではないだろうか、とか、没入しきれないで観てしまうきらいはある。
    主役の池松壮亮は感情を爆発させる場面は違和感があった。いづれも主題(たぶん他者を大切にする愛情)とは関係ない場面だったので主人公のエキセントリックさを強調するだけに終わった。
    オダギリジョーは、(おそらく)アドリブのシーンでハシャギ過ぎが鼻についた。
    一方韓国の俳優はいづれも見事で魅力があった。
    しかし、ガタピシした感じはやがてこの映画の豊な可能性として余韻を残していく。
    ストーリーは日本人の兄弟が、韓国人の家族とたまたま同じ列車に乗り合わせて、その墓参りについていくというもの。連れの子どもがオシッコをしたくなったり、韓国人のヒロインがお腹が痛くなったり、韓国人のおばさんの家で歓待されたりする。途中ヒロインが 所属する芸能プロダクション社長とのつらいエピソードが入ったりする。
    いちおう映画の社会性を担保する骨組みの要素(妻の死、悪徳芸能プロ社長、つらいソウルでの生活)は入っている。
    しかし、映画のメインの旅自体には、韓国の家族の側にも、日本人の側にも、理由も必然性もなかったことが明かされる。
    だから、出来事の断片をつなぎ合わせた、だけ、という痕跡をのこしつつ、じつはこれこそが映画の隠れたテーマだったりする作品だ。
    そういういみでは、オダギリジョーのハシャギ過ぎのアドリブは、映画全体の意味を暗示している。
    唐突なお笑い芸人のような天使ももう一つの隠れたテーマだ。
    誤解を恐れずに言えば、出たとこ勝負を力業でまとめあげた映画、と言えると思う。ここには洗練はないが、可能性はたしかにある、という意味で、観た後、腑に落ちた。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 石井裕也
    公開 2021年7月

    評価
    4/5

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    https://youtu.be/ld0C39UiAO8

    © 2021.Hiroshi Sano

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    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』は新境地!

    映画『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』は新境地!


    (C) 2021「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」製作委員会

    映画『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』

    面白く出来ている、ともろ手をあげて言いたいところだが。
    なぜか、歯切れが悪くなるのは、私の中での消化不良のせいだろう。
    大筋では、毒をもって毒を制す。悪いやつらを倒す話だから、本当はスカッとしていいはずだ。
    アクションシーンも、これでもか、これでもか、と工夫満載で結構楽しめる。(突如、殺し屋が多数登場するので、ここまで出さなくても、とは思ったが、、)

    ところが、子どもを支援する福祉NPOの主催者が売春組織の親玉だったという設定が後味の悪いままになっている。

    場面展開ごとに、笑えるシーンがあるので、全編ブラックユーモアの世界といってもいいくらいだ。
    木村文乃の一貫したツッコミキャラがこの映画の狙いを明かしている。

    佐藤二郎がスベラないギャグをかませていて満点。木村文乃も及第点。主役の岡田准一は、役柄設定自体が、なにも演じる必要がない、という得した役割。
    そんななかで、堤真一はもう一人の主役で、ブラックをよく演じていたが、やや不発だった。
    原因は多分、映画全体で細分したフラッシュバックが多すぎたことではないだろうか。
    悪役堤真一の悪たる所以、少女役の平手友梨奈の家出の話、これらをを細切れにしないで、もう一工夫あった方がよかったのではないか、とも思う。例えば、(まとめて)複線として使っていれば、後方で何かが明かされたときに、カタルシスがうまれて、ひょっとしたら、感動もあったかもしれない。このあたりは見解の相違かもしれない。
    つくる側としては、いろいろな意味で面白さとかを、抜かりなく万全なものにしたかったのかもしれない。
    ちょっと引いた気持ちのゆとりがあったら、ひょっとしたら、名作になったかもしれない。
    平手友梨奈の存在感が抜群だし、工夫がこらされた力作だと思う。

    ブラックユーモアのありかたについては考えさせられた。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 江口カン
    公開 2021年6月

    評価
    4/5

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  • 映画『コンティニュー』はすごいSF 原題Boss Level

    映画『コンティニュー』はすごいSF 原題Boss Level

    紅茶とりんご

    (C) 2019 Georgia Film Fund 72, LLC All Rights Reserved

    映画『コンティニュー』

    凄い映画。アクション映画であり、ミステリーであり、親子のホームドラマであり、世界を破壊する先端装置のSF映画でもある。そのすべてをひっくるめて破綻がない。
    主人公が同じ出来事を繰り返してしまう、というループものは、すでにすぐれた作品がいくつかあるが、この映画を際立たせているのはユーモアだ。このユーモアは、映画の中にも出てくる「ストリート・ファイター」のなどのテレビゲームのように、倒されたものが何度でもよみがえるといった、ゲームという枠の軽み、をベースにしているので、シリアスなシチュエーションを娯楽の高みに押し上げることに成功している。
    主人公が何度も死ぬのだが、その死にバリエーションをつけるのも残虐だが、主人公が何度目かにいろいろ気づくことが出てくるので、ある意味、複線としてだ。
    死ぬたびにゲームのようにリセットされるが、毎回同じというわけではなく、その違いの中から、ループの引き起こすある出来事の解明にたどり着く。
    その解明はミステリー映画のように、主人公と一緒に見る側も体験するようになっている。
    主人公は腕利きの元工作員で、妻と子を顧みずに戦場を住処としてきた男だ。そして、最後に対決する悪の棟梁も幾多の戦場を経験した元工作員だ。
    この映画は、ゲームや、謎解き、父と子の再会、元妻との感情の交流、元工作員同士の対決、世界の終わり、その他、といった様々な要素を上手にまとめ上げている点で、出色だ。
    その成功に要因は、悪の棟梁役のメル・ギブソンと元妻役のナオミ・ワッツだったと思う。
    SF映画として成り立たせているのは、通常、ループを成り立たせている科学装置のはずだ。その真実味をビジュアルにたよらずに、この二人の俳優だけで成立させているが、驚きだった。
    もちろん主人公のフランク・グリロも適役だったと思う。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 ジョー・カーナハン
    公開 2021年6月

     

    評価
    4.7/5

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    映画『コンティニュー』

    https://youtu.be/d5_X6oeWGxo

    © 2021.Hiroshi Sano

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  • 映画『街の上で』はちょっと注目!

    映画『街の上で』はちょっと注目!

    佐野 ヒロシ

    (C)「街の上で」フィルムパートナーズ

    映画『街の上で』

    この映画の評が何日も言葉にならなかった。それほど印象深く、おもしろさも一筋縄ではない映画だ。映画作りが劇中に行われていて、そんな多重構造からの連想は、ホラーコメディー「カメラを止めるな」につながるが、観る方が受けたインパクトは「カメ止め」をしのぐ大事件だ。

    約5つの恋話が盛り込まれていると思う。前半散りばめられるそれらの恋の伏線が、後半うまく結実して、多少の映画好きなら観て損はない。

    中盤、劇中の映画監督が映画論をちらと語り、場面がかわって、主人公が、ながながしい恋話のやりとりをする場面があるが、それらがワンパッケージだとすると、ここを中心に映画の撮影を進めたのかもしれない、といった、映画を分解する別の楽しみもある。

    なによりスゴイのは、登場するすべての脇役のバランスがよくて、あたりはずれが無いということだ。

    出だしは、暗い気分の表現だから、うっとうしいが、全体を観れば、面白み満載の映画だと思った。

    ただ蛇足ながら、主役の脱力系はこの映画の柱ではあるが、最後まで脱力は、この映画の印象度を時間とともに浸食している気がした。(どこかで、強い見せ場があってもよかったかも)

    (h.s)

    監督 今泉力哉
    公開 2021年4月

     

    評価
    4.3/5

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