カテゴリー: 映画

  • 映画『夏への扉 キミのいる未来へ』

    映画『夏への扉 キミのいる未来へ』


    映画『夏への扉 キミのいる未来へ』

    なんとなく期待するところもあったので、この安作り感が納得できなかった。ストーリーはタイムトラベルもので、あちこち飛んで若干の破綻があっても受け入れる心づもりはある。
    主人公の山崎賢人は理系の天才には見えない、研究室も気の利いたガレージ程度にしか見えない。自分は大人で、君も大人になったら分かる、と義理の妹役の清原果耶に言うシーンがある。実はこのセリフは多分、のちのちの時間を扱う展開にとっては重要なセリフだったのだろうと思う。ところが、とても大人とは思えない幼さで、山崎賢人は騙されてしまう。しかも子どもっぽい反応をしている。
    脚本のミス、演出のミス、美術のミス、そしてキャスティングのミスがあったと思う。
    にも拘わらず最後まで観れたのは、原作者ハイラインへの期待だし、実際に、冬眠装置が確立した世界に、タイムトラベルの装置を持ち込むとどうなるか、というのがテーマだから、この着想にはとことん付き合ってみたいところだった。
    清原果耶は、17歳とその10年後の27歳を演じていたが、17歳の方はみずみずしさが欠けて物足りないかわりに、ほんの数秒の27歳の役では格段の存在感があったのは、この女優の持ち味の優れた面を垣間見させた。
    その他、藤木直人のロボット役は意外にはまっていた。また悪女役の夏菜が奥深い悪役で好演だった。
    その他は、主役の前述二人を含めてミスキャストだったが、特に、原田泰造は、あきらかに善人ぶって登場したところから、主人公の遺言を守る役の善人とは思えなくて、映画を観ている間中、いつ寝返るのか気が気ではなかった。とくに、その妻と狭いベッドの上で、清原果耶を子どもとして引き取るらしい相談をするシーンは、悪だくみをしているようにしか見えなかったので、私にとっては演出ミスが重なっように見えた。
    題名の「夏への扉」は、最後まで理解できなかった。それって、何?、といった感じ。また副題が「キミのいる未来へ」は、妹役の清原の方が、主人公役の山崎を追いかけるように冬眠に入るので(ということが最後に明かされるが)、なおさら理解しがたかった。

    監督 三木孝浩
    公開 2021年6月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『1秒先の彼女』は可愛いファンタジー

    映画『1秒先の彼女』は可愛いファンタジー

    映画『1秒先の彼女』は可愛らしいファンタジー

    (C) MandarinVision Co, Ltd

    映画『Ⅰ秒先の彼女』は、半分ファンタジーの爽やかな恋愛映画である。
    話の前半分はテンポもよく、ウィットにも富んで、楽しい。ドタバタチックな喜劇は、香港映画や韓国映画の脂ぎった匂いがないのが新鮮だ(これは台湾映画)。というか、よくよく練られた展開に、安っぽい日本映画の恋愛ものに比べて、うらやましくなる。
    後半は、「得した1日」での出来事と、そのSFチックな理由が明らかになるが、いまいちすんなり来ない。
    前半で、やもりの面白い話があったので、後半もいっそのこと幻想ということにする手もあったのに、あえて宇宙の謎みたいな屁理屈にしてしまったので、トーンが崩れてしまった可能性がある。
    女主人公を連れまわすシーンは少々説得力が不足していたと思う。
    そのあたりは観客に我慢をしいるわけだが、最後の最後は、主人公たちの出会いですくわれるし、ステキな最後になったと思う。
    主演はリー・ペイユー(パティ・リー)。スラっとした長身。婚期をあせりながら、郵便局の窓口に勤める役を上手に演じている。小さいころから反応がはやくてそそかしい。隣の席のかわいい同僚のデートの話に、かなり下品なツッコミを入れている。そのくせ、恋愛経験にとぼしく、純心で、さわやかで、日々つつましく過ごしている。そうした憎めない日常を演じるのにこれ以上ない適役のように思えた。

    映画『1秒先の彼女』予告編

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『Mr.ノーバディ』

    映画『Mr.ノーバディ』


    映画『Mr.ノーバディ』は中高年の夢物語

    中高年の夢物語。
    イントロは、主人公がいかに「普通」か、が繰り返し描かれるが、描き方が秀逸。
    日常の断片の繰り返しと印象的な炸裂音。朝のゴミ出しに失敗し、実業家の妻と違って、マイカーもなく、義父の経営する工場にバス通勤。疲れて帰ってくれば、夜は妻とセックスレス。
    現代の中高年のすべてがつまっているような男が、ある時突如変貌する。というか、本当の自分を現す。
    本当の俺はこんなんじゃない、という思いを映画は一挙にかなえていく。・・はず。
    全体についていえば、やや過度の殺しのシーン(映画『ザ・ファブル』同様、殺し屋がなぜかうじゃうじゃ出現する)、を除けば、死にかけの殺し屋との対話みたいのが、いくつかあって、これがじんわり効いていると思う。あとは、ホームアローンみたいな仕掛けで、悪役たちをやっつけていく。
    イントロの秀逸さにくらべると、悪役側の盛り立て方が、なんとなく腑に落ちない。
    振り返ると、馬力を効かせた車の入手とか、負傷する主人公の回復とか、あまり感情を表さない主人公のたんたんとした仕草とか、蘇ってくるものがあるが、ちぐはぐ感はいなめない。
    多分、主人公が対峙する悪者はかなり悪だが、と映画で規定されているが、その悪役ぶりにしては、感情の振幅が激しいのが、この映画の計算違いかもしれない。

    監督 イリヤ・ナイシュラー
    公開 2021年6月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』は新境地!

    映画『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』は新境地!


    (C) 2021「ザ・ファブル 殺さない殺し屋」製作委員会

    映画『ザ・ファブル 殺さない殺し屋』

    面白く出来ている、ともろ手をあげて言いたいところだが。
    なぜか、歯切れが悪くなるのは、私の中での消化不良のせいだろう。
    大筋では、毒をもって毒を制す。悪いやつらを倒す話だから、本当はスカッとしていいはずだ。
    アクションシーンも、これでもか、これでもか、と工夫満載で結構楽しめる。(突如、殺し屋が多数登場するので、ここまで出さなくても、とは思ったが、、)

    ところが、子どもを支援する福祉NPOの主催者が売春組織の親玉だったという設定が後味の悪いままになっている。

    場面展開ごとに、笑えるシーンがあるので、全編ブラックユーモアの世界といってもいいくらいだ。
    木村文乃の一貫したツッコミキャラがこの映画の狙いを明かしている。

    佐藤二郎がスベラないギャグをかませていて満点。木村文乃も及第点。主役の岡田准一は、役柄設定自体が、なにも演じる必要がない、という得した役割。
    そんななかで、堤真一はもう一人の主役で、ブラックをよく演じていたが、やや不発だった。
    原因は多分、映画全体で細分したフラッシュバックが多すぎたことではないだろうか。
    悪役堤真一の悪たる所以、少女役の平手友梨奈の家出の話、これらをを細切れにしないで、もう一工夫あった方がよかったのではないか、とも思う。例えば、(まとめて)複線として使っていれば、後方で何かが明かされたときに、カタルシスがうまれて、ひょっとしたら、感動もあったかもしれない。このあたりは見解の相違かもしれない。
    つくる側としては、いろいろな意味で面白さとかを、抜かりなく万全なものにしたかったのかもしれない。
    ちょっと引いた気持ちのゆとりがあったら、ひょっとしたら、名作になったかもしれない。
    平手友梨奈の存在感が抜群だし、工夫がこらされた力作だと思う。

    ブラックユーモアのありかたについては考えさせられた。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 江口カン
    公開 2021年6月

    評価
    4/5

    他の投稿一覧

    最近の投稿(一覧はこちら)


    ここをクリック

    © 2021.Hiroshi Sano

    (著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。

  • 映画『コンティニュー』はすごいSF 原題Boss Level

    映画『コンティニュー』はすごいSF 原題Boss Level

    紅茶とりんご

    (C) 2019 Georgia Film Fund 72, LLC All Rights Reserved

    映画『コンティニュー』

    凄い映画。アクション映画であり、ミステリーであり、親子のホームドラマであり、世界を破壊する先端装置のSF映画でもある。そのすべてをひっくるめて破綻がない。
    主人公が同じ出来事を繰り返してしまう、というループものは、すでにすぐれた作品がいくつかあるが、この映画を際立たせているのはユーモアだ。このユーモアは、映画の中にも出てくる「ストリート・ファイター」のなどのテレビゲームのように、倒されたものが何度でもよみがえるといった、ゲームという枠の軽み、をベースにしているので、シリアスなシチュエーションを娯楽の高みに押し上げることに成功している。
    主人公が何度も死ぬのだが、その死にバリエーションをつけるのも残虐だが、主人公が何度目かにいろいろ気づくことが出てくるので、ある意味、複線としてだ。
    死ぬたびにゲームのようにリセットされるが、毎回同じというわけではなく、その違いの中から、ループの引き起こすある出来事の解明にたどり着く。
    その解明はミステリー映画のように、主人公と一緒に見る側も体験するようになっている。
    主人公は腕利きの元工作員で、妻と子を顧みずに戦場を住処としてきた男だ。そして、最後に対決する悪の棟梁も幾多の戦場を経験した元工作員だ。
    この映画は、ゲームや、謎解き、父と子の再会、元妻との感情の交流、元工作員同士の対決、世界の終わり、その他、といった様々な要素を上手にまとめ上げている点で、出色だ。
    その成功に要因は、悪の棟梁役のメル・ギブソンと元妻役のナオミ・ワッツだったと思う。
    SF映画として成り立たせているのは、通常、ループを成り立たせている科学装置のはずだ。その真実味をビジュアルにたよらずに、この二人の俳優だけで成立させているが、驚きだった。
    もちろん主人公のフランク・グリロも適役だったと思う。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 ジョー・カーナハン
    公開 2021年6月

     

    評価
    4.7/5

    他の投稿一覧

    最近の投稿(一覧はこちら)


    ここをクリック

    映画『コンティニュー』

    https://youtu.be/d5_X6oeWGxo

    © 2021.Hiroshi Sano

    (著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。

  • 映画『カムバック・トゥ・ハリウッド!!』

    映画『カムバック・トゥ・ハリウッド!!』


    (C) 2020 The Comeback Trail, LLC All rights Reserved

    映画『カムバック・トゥ・ハリウッド』

    せっかく名優を3人揃えたのに、前半のデニーロのダメプロデューサーぶりを延々と見せる部分が興覚めだった。
    デ・ニーロは、作品につよい愛着を見せるプロデューサーだが、他方、保険金殺人を仕掛けようとする破綻ぶりがうまく処理されていない。引いてしまう時間帯がかなりあった。
    実際のロケの部分は、ロケ隊のメンバー同士のやり取りなど、映画作りをめぐる群像劇的な兆しがあって、そこを盛り上げたらかなり面白かった。
    要は3人の怪優をつかってハチャメチャ劇をつくりたかったらしいが、脚本や編集のまずさもかなりあったと思う、というのは、、
    映画冒頭は、カトリック修道僧たちが映画館前で抗議している場面から始まる。
    デニーロが制作したのは「キラー修道女」とでも題する映画で、そんな抗議もあって、初日から失敗と見込まれたのが、その後の悲喜劇の展開につながるきっかけとなっている。
    そんな大事なシーンをデニーロの話芸だけでついやしたので、逆にプロデューサーとしての存在のあいまいさがのちのちまで続いた。
    「キラー修道女」は冒頭で見せておくべきだった。そこで、テレビや新聞などでの酷評ぶりをだせば、直後のモーガンフリーマンの登場の意味づけも濃くなって、面白さも倍加したと思う。
    なんとか喜劇にしようという仕掛けはそこここにあって、観ている側は、監督の意図にのってあげないと、かわいそうだと思ってしまうほどだ。
    そんな仕掛けが10あったとすると、そのうち3くらいは、笑えた。
    3人とも、その演技に破綻がまったくないので、残念さが強まる。
    トミー・リー・ジョーンズは、ほどほど活きていたと思う。モーガンフリーマンは、あいかわらずいい演技をしていて、もう少し見たかった。
    主役のデ・ニーロは出すぎなくらいだったが、その割には、十分に活かされていないシーンがあった。喜劇だから、デ・ニーロが笑われるシーンがある。馬にけられたり、牛に追突されるシーンが3回あったが、せっかくの貴重な機会が台無しになっている。
    馬をあやつる魔法のような単語をとなえて、トミー・リー・ジョーンズに危害を加えようとするのだが、その災難に自分があってしまう、とういのが笑いをとるシーンである。
    そこを十分に活かすためには、事前にデ・ニーロに単語をつぶやかせて、その結果を妄想して悦にひたる表情を挿入すべきだった。多分一番簡単な計算上のミスだ。
    ところが、女監督の現場での描き方や、大道具役の演技など、クスッと笑えるシーンは巧みさも感じられる。老人ホームでのシーンもあからさまにゾンビ映画だったが、それよよい。さらに映画好きだったら、しっているシーンの吹き替えがそこここにあったのだと思う。
    見終わったあとの評価は、5点満点中2.5点だが、こうして分解してみると、この映画の製作プロセスがかなりハチャメチャで悲喜劇だっただろうと推測されて、おおいに堪能した。
    ちなみに、こんなに大俳優が出ているのに、アメリカでの公演も「キラー修道女」と比べて遜色がなかったようだ。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 ジョージ・ギャロ
    公開 2021年6月

     

    評価
    2.5/5

    他の投稿一覧

    最近の投稿(一覧はこちら)


    ここをクリック

    © 2021.Hiroshi Sano

    (著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。

  • 映画『地獄の花園』

    映画『地獄の花園』


    (C) 2021『地獄の花園』製作委員会

    映画『地獄の花園』

    OLの社会には、カタギと、その筋のOL、という2種類がいるらしい。
    主人公の永野芽郁が、ふつうのOLであることを楽しみに会社に通っているが、ある日の更衣室で、ぶっ飛ばされるOLが、ロッカーをへこませる、という惨事に遭遇する。
    というところから、映画は始まる。
    「その筋」というのは、かつて暴走族だったり、ヤンキーだったりエトセトラ、だったりということらしい。その彼女らが、社内はもちろん、会社の枠を超えて、抗争を繰り返して、だれが最強のトップなのかを決めようとしているらしい。
    映画の半分は、そうした女子プロレスリングの世界で、はでなアクションシーンがつぎつぎに続く。
    菜々緒は、ここぞとばかりみどころをつくるし、大島美幸が意外にはまっているのがおかしい。
    ただ役者をそろえているわりには、花園の花を感じることろが全くない。映画の出だしの3カットくらいで、フツウの会社の部分がチャチだし、あこがれの森崎ウィンはぼんやりしてステキさがゼロだし、全体の計算欠如が露呈する。
    ただ、このところ激高もの役がつづいているせいか、広瀬アリスだけが、息遣いの荒さがつたわってきて、だれが主役なのか迷うほどだった。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 関和亮
    公開 2021年5月

     

    評価
    3.4/5

    他の投稿一覧

    最近の投稿(一覧はこちら)


    ここをクリック

    © 2021.Hiroshi Sano

    (著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。

  • 映画『ローズメイカー 奇跡のバラ』

    映画『ローズメイカー 奇跡のバラ』


    THE ROSE MAKER (C) 2020 ESTRELLA PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – AUVERGNE-RHONE-ALPES CINEMA

    映画『ローズメイカー 奇跡のバラ』

    さわやかな小品の映画。テーマはさりげない奇跡。
    フランスらしい意味不明の冗談らしいやり取りがあるが、それも含めて、バラの好きな人、農村を楽しみたい人には憩いのひと時だ。
    新しい品種のバラの育成に執念をもやす主人公は、それ以外ならふつうのおばさんに見えるカトリーヌ・フロ。たんたんと執念をもやして月日がたった果てに、ある出来事が起きてハッピーエンドとなる。そのことを、映画の中で、奇跡と呼んでいるのかどうか、フランス語が分からないので不明だが、ひょっとしたら、日本語タイトルをつけた人の先走りかもしれない。
    むしろ、奇跡などとよばずに、ただそういうことが起こりましたよ、程度のほうが、映画としては深みを増すように思った。
    ここの塩梅を説明するのはなかなか難しいが、たとえば原題は「la fine fleur」だが、そうなんですよ、というほうが、昔の日本語でいう「いとおかし」の世界、というか、奥ゆかしいおかしみの世界と言えるかもしれない。
    カメラや編集や演出にもゆきとどかない欠落感があって、たぶんこちらの感受性の欠落が対比されるような仕方で顕在している。
    掘り下げていくと、フランスが抱えている人種や文化や性差などへの複雑な感情も下地にあるようにも見える。
    そう考えると、映画の出だしが、「Red Roses for a Blue Lady」という英語の歌で始まるのは、バラを国花としているイギリスへのご挨拶ともとれるし、最後に主人公が目をかける若者が調香師として旅立つのは、香水の国フランスの矜持ともとれる。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 ピエール・ピノー
    公開 2021年5月

    評価
    3.4/5

    他の投稿一覧

    最近の投稿(一覧はこちら)

    © 2021.Hiroshi Sano

    (著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。

  • 映画『ファーザー』

    映画『ファーザー』


    (C) NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020

    映画『ファーザー』

    不条理なことが次々に起こる、そういう映画、という見方をすれば楽しみ方がひとつ増える。
    多分、一番初めのカットあるいはシーンと、最後のカットが現実レベルの話。あと中間にも娘のシーンで現実レベルがあるかもしれない。
    その他は、すべて、娘、介護人、義理の息子、フラットといった要素が、不条理に組み合わせをかえて登場する。
    以前、イギリスのテレビドラマで不条理を題材にしたものを見て楽しんだ記憶がある。それはかなり前で、私が子どもの時だ。子どもは結構不条理なものを素直にうけいれるのだ、というのが振り返った今の印象だ。
    それはさておき、サイエンス・フィクションなどでは、不条理そのものがテーマになることもある。不条理というのは、あるものからあるものへと理由づけられることなく飛躍してしまうことだ。その飛躍の間隙にこそ面白さを感じてします。そしてさらに言ってしまえば、その間隙の面白さこそ、映画そのものなのだ。
    映画の申し子ともいえるアンソニー・ホプキンスが、不条理をテーマとした映画の主人公となることこそが、この映画の真髄なのかもしれない。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 フロリアン・ゼレール
    公開 2021年5月

    評価
    3.6/5

    他の投稿一覧

    最近の投稿(一覧はこちら)

    © 2021.Hiroshi Sano

    (著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。

  • 映画『ジェントルメン』

    映画『ジェントルメン』

    佐野 ヒロシ

    (C) 2020 Coach Films UK Ltd. All Rights Reserved.

    映画『ジェントルメン』

    手を替え品を替え、制作はしたが、いつものギャングコメディー。とはいうものの、お約束のどんでん返しは、規模は小さいものの、そここにあって楽しみは十分だ。

    マコノヒーの出る映画は、いつもひねりがあるので、そういうのを期待する人にとっては、ハズレのない映画のひとつになった。

    いくつか気になった点は、イギリス貴族の没落具合をやたらに皮肉った筋立てにしている点だ。

    アメリカ人の観客にとっては、あまく口当たりのよいキャンディーのような快感なのだろう。

    もうひとつきになったのは、対抗するマフィアのボスが中国人で、ヘロインを扱っている設定になっていて、一方のワルであるマコノヒーは大麻を密造しているのだが、中国人に向かって、人が死ぬ薬物じ世界を汚染しつづけている、というセリフを放つ。まってくれよ、アヘン戦争はいったい誰が始めたのか、と言いたくなる場面だった。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 ガイ・リッチー
    公開 2021年4月

    評価
    3/5

    他の投稿一覧

    最近の投稿(一覧はこちら)

    © 2021.Hiroshi Sano

    (著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。