カテゴリー: 映画

  • 映画『由宇子の天秤』

    映画『由宇子の天秤』


    映画『由宇子の天秤』

    ついに出たか、と思わせるすばらしい映画。
    はじめの数分のゆるさ、をのぞけば、テーマも納得できるし、構成のよわそうなところもどうにか切りぬけていて、ほとんど破綻がないくエンディングに向かっていくので、単純におもしろい。
    学校でのセクハラや自殺事件を追求しているディレクターの女性が、自分の父親も似たようなというより、相似の出来事にかかわっているのを知って、一挙にドラマがむくむくと頭をもたげてくる、といった構成。
    結構おもしろいテーマがよこたわっていて、真実をつたえようとしたり、社会悪を追求しようとする当事者が、実は事件の渦中にまきこまれていく中で、何をどう伝えようとするのか、というかなり表現の本質をつくような問題意識を内包している。
    春本監督が制作している映画の中で、主人公の女性がテレビ局のためにスタッフと一緒にドキュメンターを制作していて、さらに、主人公自身が巻き込まれている事件について、主人公のスマホで撮影している、という3重の構造になっている。
    すばらしい映画、と書いたのは、あることが起きれば落とし前が必要なのが本来の映画だが、いくつもの細かい出来事を微塵の齟齬や苦労も見せることなくこなし尽くしていた。

    監督 春本雄二郎
    公開 2021年10月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』

    映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』


    映画『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』

    魅力的な映画になっている。
    ちょっと特徴がある。このシリーズをミックスナッツに例えれば、ちょっと甘みのあるカシューナッツの配合を増やした、というおもむきだろうか。
    ラブストーリーの部分を厚くしすぎれば、アクションの部分がオチャラケっぽくなる可能性もあったとおもうが、バランスよく組み立てられている。
    そういう意味で、007というミックスナッツは、安泰だ。
    しかし、といってこれまでのダブルオーではない。
    イントロの重要なキーとなるシーンがおわり、本題にはいるとヒロイン役のレア・セドゥが車を運転するボンドを愛おし気にその髪を触る。そしてこの愛が破滅してしまうシーンの最後、二人が分かれるカットで、ヒロインはそっと自分のお腹に手をやる。この二つのカットが、この映画にまかれた種だ。
    ありきたりに言えば、ボンドがついに愛されてケアされる存在になってしまった、ということだろう。

    監督 キャリー・フクナガ
    公開 2021年9月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『クーリエ最高機密の運び屋』

    映画『クーリエ最高機密の運び屋』


    映画『クーリエ 最高機密の運び屋』

    違う体制(ソ連と西側)に属していても、平和を願う同志の信頼は成立する、というのがテーマのようだ。
    そのテーマの実現に向けて映画はがむしゃらに進んでいく。そしてクライマックスの二人が確認しあうシーンで一応成功したと言えるのかもしれない。
    しかし、映画を観る側から言わせてもらうと、これが実話に基づくという前触れがしつこいハエのようにまとわりつく。
    おおかたの批評では、これ実話、すごい、ということになっているらしいが、映画はかならず脚色している。主人公をもりたてる害のない脚色は、他の映画ならいっぱいしている。
    しかし、信頼のもう一方が処刑されたというこの映画の現実を前にすると、ソ連がわの情報提供者の描き方が、ご都合主義で脚色されていたとしたら、残酷というか、映画のテーマを完結させるためのウソがどこまで許されるのだろうか、と不協和音をかかえて観終わった。
    この映画が嘘をついている、といっているわけではないし、その証拠も持ち合わせてはいない。しかし、ソ連の情報提供者も家族を大事にしている。だとしたら、亡命の手はずがもっと早く行われることを望んでいたのではないだろうか、と単純に思う。ところが、映画ではソ連人の都合でぎりぎりまで遅らせていることになってしまっていた。

    監督 サム・クァー
    公開 2021年7月


  • 映画『レミニセンス』

    映画『レミニセンス』


    映画『レミニセンス』

    舞台は(多分地球温暖化で)水没している高層都市マイアミ。そして、舞台装置は、人の記憶を可視化できる機械だ。
    惚れっぽい主人公が、失踪した女を追い求めていく映画。
    そしてクライマックスは、記憶再現装置の中で、女と愛を語り合うシーン。と、ここまで書くと、なんだか軽い印象だが、どうしてどうして、幾重にもなぞが絡み合った重量感のある映画。
    すべての登場人物が最後の謎解きに向かう伏線になっているのも見事だが、記憶再現装置がストーリーの展開の中で巧みに使われているのも感心させられる。
    通常フラッシュバックは、映画の中の当事者以外には、映画の観客しか知らないというのが、お約束ごとだが、記憶再現装置は、誰の記憶であれ、映画の他の登場人物たちにも等しく見れる設定になっている。そのおかげで、登場人物たちの動きが思いのほか豊かで説得力がある。さらにいくつものナゾが破綻なくつながりあっていく様は、よく練られた構成だと思わせる。
    水没しかけた線路を列車が走るシーンは、忘れもしない「千と千尋」を思い出させて、時空を導かれていくには、やはりこれなんだ、と思わせるシーンもあったりしてうれしい。
    その他登場人物たちもよく性格づけられていて、とくに主人公の助手役の女性は、主人公に想いをよせながら、危機の時は、銃撃で主人公を救うという腕前も持っている。
    二人とも戦争体験があって激しいサバイバルを体験してきたことをうかがわせるが、主人公は武器を使うことにはおくてで、助手の女性は、射撃でものごとを片付ける派という性格付けは、映画冒頭から設定されていて、それが全編を通じて生きている。
    かなり出来の良い映画だ。ただし、なぞが細かすぎて、観る側が気が抜けないのが欠点と言える。
    それでも、映画のさまざまな要素のバランスがよくて、映画のコクといったものを濃密にして、十分に楽しませてくれた。

    ©hiroshi sano

    監督 リサ・ジョイ
    公開 2021年9月


  • 映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』

    映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』


    映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』

    なんとなく軽い映画の印象で見始めたが、よくよく考えれば、女性の情念がずっしりと伝わってくるおもしろい映画。
    なんといっても、夫役の柄本佑が出色の出来だ。いつもの柄本なのだが、ここではさらにぴったりで、ドキドキさせるという牽引役を見事にこなしている。黒木華は、のっぺりとした印象で劇中では、映画的な感情の起伏には貢献しないが、観終わってみればしっかりと役をこなしていた、というずっしり感を残していた。
    どんでん返し的な展開が、いくつかあって、最後の最後まであったというのは見事だと思う。
    ただし、風吹ジュンが演じるお母さんは、各シーンで伏線を張る役目も担っているらしいがほとんど不発だった。
    また、出だしの数分は画面もセリフも不自然で、その不自然さにも意味をこめているらしかったが、不発どころか、不自然そのものだったので、減点になると思う。
    総じて、しずかに進む展開の中には、不十分なシーンがあったとしても、しっかりとした構成と漫画家に関しては妥協しない姿勢があって、いい映画になっていた。

    ©hiroshi sano

    監督 堀江貴大
    公開 2021年9月


  • 映画『シャン・チー』

    映画『シャン・チー』


    映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』

    分かりやすく(意地悪く)解説すれば、場面の場所が次々にかわって、その場所で同じメンバーで闘い合う、というプロレスの世界興行につきあうような映画。
    もちろんファンタジーあり、ユーモアありで楽しませてくれようとしているのだが、筋が一本見通せないので、お楽しみ付録の連続になってしまっている。
    唯一の取り柄は、主人公の父親が母親と恋におちいるシーンの母親役の女優の美しさ、だろうか。

    ©hiroshi sano

    監督 デスティン・ダニエル・クレットン
    公開 2021年9月


  • 映画『ドライブ・マイ・カー』

    映画『ドライブ・マイ・カー』


    映画『ドライブ・マイ・カー』

    気持ちよく観終わることが出来た。
    チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」が枠組みとなっているようだ。
    出だしからの何分間かは、夫婦の心理サスペンス的な展開の中でセックスが描かれていて、妻の不貞のシーンなどもある。
    そして、タイトルが出て、いよいよ本編の「本編」が始まる、といったところで、ギアが一段おとされて、ゆるやかな流れとなっていく。
    タイトルが出た後の映画の流れとしては、不貞の結実がどうなっていくのか、というのと、ワーニャ伯父さんの舞台の終幕を手話をまじえて見事に完結させる、ということと、この映画の題名の、主人公の車を代行運転する女性ドライバーの生い立ちをたどって北海道まで行く、というのがある。
    それぞれがからみあって一つの映画となっているわけだが、これらの流れにそれぞれクライマックスというか結論めいたシーンが与えられている。
    分かりやすく言えば、主人公のおとしまえ、ドライバーのおとしまえ、ワーニャ伯父さんのおとしまえ、が描かれた映画、とでも言えようか。
    どのおとしまえもありきたり感が否めなくて、やや気落ちしたが、皮肉なことにワーニャ伯父さんの最後のシーンだけは、手話にもかかわらずというべきか、手話だからこそ、というべきか、演じた女優の演技力が伝わるようで印象深かった。

    これはまったく蛇足だが、冒頭主人公が乗っている車がサーブ車で、なにが気に入って、という説明もなく登場している。ところが、最後の最後、広島から雪の早い北海道にこの車でたどりつくシーンではじめて、北欧製の車だから可能、という暗喩があることが分かる。映画上ではまったく小道具的な判断で、選ばれた車、ということになってしまった。

    ©hiroshi sano

    監督 濱口竜介
    公開 2021年9月


  • 映画から生まれた映画『オールド』

    映画から生まれた映画『オールド』


    映画『オールド』

    今回は、もし人間が一日で50年(?)も歳をとってしまったらどうなるのか、というのがお題で、それに対するシャマラン流の回答がこれだ。
    映画らしい映画!とまず思ったのは、ドキドキ感や、観た後の感興など、シャマラン監督が発明したサスペンスが新鮮で健在だ、と感心もし感銘も受けたからだ。
    バカンスを楽しみに来た複数の家族が、すばらしい場所だという誘いにつられて、秘密のビーチにやってくる。
    そこは切り立つ岩山に囲まれた美しい場所で、来た当初はそれぞれが気に入って海と砂浜を楽しむが、そのうちに異変がやってきて、家族たちは混乱に陥っていく。
    なにしろ30分で一年分歳をとってしまうのだから、6歳だった息子は、後から遅れてきた家族からみたら、どうみても11歳になっていて、11歳だった娘は16歳になっているのだ。ここからが、混乱と恐怖で、いわゆる映画のお楽しみの部分、というか饅頭のあんこにあたる部分だ。
    シャマラン監督の映画たちは、始めに平穏な日常があって、次に人間の心理のスキをつく恐怖感のようなものがあって、謎解きがあり、結末に至るという流れだ。サスペンスや恐怖、さらに不条理は、謎解きというか隠されていたものの開示によって、ある意味知的なフィルターに浄化されてしまうということがあって、独特の後味で劇場をあとにする。ここが、他の多くの恐怖を極めるスプラッター映画とは違う部分だ。
    と、じつはここまでが、これまでのシャマラン映画の面白さだったと思う。
    これまでのシャマラン映画は、どちらかと言えば脳みその前頭葉の部分の体操のような趣があって、こころの部分や教訓めいたものが少ない。
    今回は、めずらしくその教訓めいたものがあってこころに沁みた。

    これ以上は詳しくは書かないが、ちょっと脇道にそれてシャマラン監督をおちょくらせてもらえば、自分の映画にたびたび登場するナルシストのシャマラン監督が、浜辺の監視役として自分が登場するシーンが気になって、その直前の、今しかない老夫婦の大事な会話のシーンの編集をやや印象の薄いものにしてしまったのではないか、と危惧している。
    ただ、はじめに書いた映画らしい映画!、にもどると、私たちは、映画を観るたびに、じつは観ている間の時間(たとえば1時間半とか2時間)に、他人(登場人物)の数十年の人生を目撃するのにはなれているはずだ。
    ひょっとすると、シャマラン監督は、映画の中で起こる数十年を、閉じ込められた浜辺でとぎれなく起きたらどうなるのか、と考えたのかもしれない。
    もしそうなら、この映画は、映画の中から生まれた映画、と言い換えてもよいかもしれない。

    ©hiroshi sano

    監督 ナイト・シャマラン
    公開 2021年9月


  • 映画『ザ・スーサイド・スクワッド』

    映画『ザ・スーサイド・スクワッド』


    映画『ザ・スーサイド・スクワッド』

    子どもにはおすすめできないし、一部大人にも、陰惨な殺戮が多いので、おすすめではないかもしれない。
    けれど、このSFチックで、ファンタジーっぽい映画が、あえて表現を探せば、ぶっ飛んでいる!、というのがぴったりだ。
    その中身だが、見る側の展開の期待を裏切るシーンが、数回はある。ただし、その期待の裏切り方が、おおよそ殺戮によるのが残念だ。
    作る側の悪ふざけも頻繁にあるが、度が過ぎていないのがいい。
    映画を展開させていく強力なモーティベーションがいくつかあって、娘を人質にされて隊長を引き受けさせられた武器に詳しい男と、ネズミを操る少女との約束の取り交わしが印象的だ。
    もちろん、どんな状況でも生き延びてしまうハーレイ・クインのお約束ごとは最強だ。
    その他、アメリカが隠し続ける宇宙生物の培養施設を敵の手に渡さないミッションなどもある。
    中身が充実している、という意味でも強みを持った映画だ。
    これは本当に偶然だが、あの『ジョジョ・ラビット』のタイカ・ワティティがネズミつかいの少女の父親役で出演していたのも、うれしい驚きだった。
    これは蛇足だが、アメリカの現実が、茶化された殺戮の中に投影されているような気がする。

    ©hiroshi sano

    監督 ジェームズ・ガン
    公開 2021年8月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『返校 言葉が消えた日』

    映画『返校 言葉が消えた日』


    映画『返校 言葉が消えた日』

    ひとことで言えば、悲しい映画。
    主人公の少女の心象を、あえて言えば、ホラーとして描いているということだろうか。
    少女のチャン先生への想いと嫉妬が、あるきっかけで、陰惨な殺戮へとつながっていく。事件は蒋介石の台湾で、共産党に対しての警戒が強かった時代、思想統制が行われているという前提で、自由を信じている教師と生徒が摘発されてむごい死を迎える。
    前半は密告者は誰か、という謎解き。中盤から、主人公の生活や、関わる人たちの人間模様が描かれる。この映画に期待して観に行った人は、私と同じように台湾映画に垣間見えるノスタルジックな空気感を期待したかもしれないが、後半にやや報いられるが全体的には薄い。
    最後に用意されたオチの場面も、カタルシスにはほど遠い。
    もともとゲームを元にした映画だ、と言われればそれまでだが、少女の境遇の悲しさだけが残った。

    ©hiroshi sano

    監督 ジョン・スー
    公開 2021年8月