投稿者: 佐野ヒロシ

  • 映画『コンティニュー』はすごいSF 原題Boss Level

    映画『コンティニュー』はすごいSF 原題Boss Level

    紅茶とりんご

    (C) 2019 Georgia Film Fund 72, LLC All Rights Reserved

    映画『コンティニュー』

    凄い映画。アクション映画であり、ミステリーであり、親子のホームドラマであり、世界を破壊する先端装置のSF映画でもある。そのすべてをひっくるめて破綻がない。
    主人公が同じ出来事を繰り返してしまう、というループものは、すでにすぐれた作品がいくつかあるが、この映画を際立たせているのはユーモアだ。このユーモアは、映画の中にも出てくる「ストリート・ファイター」のなどのテレビゲームのように、倒されたものが何度でもよみがえるといった、ゲームという枠の軽み、をベースにしているので、シリアスなシチュエーションを娯楽の高みに押し上げることに成功している。
    主人公が何度も死ぬのだが、その死にバリエーションをつけるのも残虐だが、主人公が何度目かにいろいろ気づくことが出てくるので、ある意味、複線としてだ。
    死ぬたびにゲームのようにリセットされるが、毎回同じというわけではなく、その違いの中から、ループの引き起こすある出来事の解明にたどり着く。
    その解明はミステリー映画のように、主人公と一緒に見る側も体験するようになっている。
    主人公は腕利きの元工作員で、妻と子を顧みずに戦場を住処としてきた男だ。そして、最後に対決する悪の棟梁も幾多の戦場を経験した元工作員だ。
    この映画は、ゲームや、謎解き、父と子の再会、元妻との感情の交流、元工作員同士の対決、世界の終わり、その他、といった様々な要素を上手にまとめ上げている点で、出色だ。
    その成功に要因は、悪の棟梁役のメル・ギブソンと元妻役のナオミ・ワッツだったと思う。
    SF映画として成り立たせているのは、通常、ループを成り立たせている科学装置のはずだ。その真実味をビジュアルにたよらずに、この二人の俳優だけで成立させているが、驚きだった。
    もちろん主人公のフランク・グリロも適役だったと思う。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 ジョー・カーナハン
    公開 2021年6月

     

    評価
    4.7/5

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    映画『コンティニュー』

    https://youtu.be/d5_X6oeWGxo

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  • 映画『カムバック・トゥ・ハリウッド!!』

    映画『カムバック・トゥ・ハリウッド!!』


    (C) 2020 The Comeback Trail, LLC All rights Reserved

    映画『カムバック・トゥ・ハリウッド』

    せっかく名優を3人揃えたのに、前半のデニーロのダメプロデューサーぶりを延々と見せる部分が興覚めだった。
    デ・ニーロは、作品につよい愛着を見せるプロデューサーだが、他方、保険金殺人を仕掛けようとする破綻ぶりがうまく処理されていない。引いてしまう時間帯がかなりあった。
    実際のロケの部分は、ロケ隊のメンバー同士のやり取りなど、映画作りをめぐる群像劇的な兆しがあって、そこを盛り上げたらかなり面白かった。
    要は3人の怪優をつかってハチャメチャ劇をつくりたかったらしいが、脚本や編集のまずさもかなりあったと思う、というのは、、
    映画冒頭は、カトリック修道僧たちが映画館前で抗議している場面から始まる。
    デニーロが制作したのは「キラー修道女」とでも題する映画で、そんな抗議もあって、初日から失敗と見込まれたのが、その後の悲喜劇の展開につながるきっかけとなっている。
    そんな大事なシーンをデニーロの話芸だけでついやしたので、逆にプロデューサーとしての存在のあいまいさがのちのちまで続いた。
    「キラー修道女」は冒頭で見せておくべきだった。そこで、テレビや新聞などでの酷評ぶりをだせば、直後のモーガンフリーマンの登場の意味づけも濃くなって、面白さも倍加したと思う。
    なんとか喜劇にしようという仕掛けはそこここにあって、観ている側は、監督の意図にのってあげないと、かわいそうだと思ってしまうほどだ。
    そんな仕掛けが10あったとすると、そのうち3くらいは、笑えた。
    3人とも、その演技に破綻がまったくないので、残念さが強まる。
    トミー・リー・ジョーンズは、ほどほど活きていたと思う。モーガンフリーマンは、あいかわらずいい演技をしていて、もう少し見たかった。
    主役のデ・ニーロは出すぎなくらいだったが、その割には、十分に活かされていないシーンがあった。喜劇だから、デ・ニーロが笑われるシーンがある。馬にけられたり、牛に追突されるシーンが3回あったが、せっかくの貴重な機会が台無しになっている。
    馬をあやつる魔法のような単語をとなえて、トミー・リー・ジョーンズに危害を加えようとするのだが、その災難に自分があってしまう、とういのが笑いをとるシーンである。
    そこを十分に活かすためには、事前にデ・ニーロに単語をつぶやかせて、その結果を妄想して悦にひたる表情を挿入すべきだった。多分一番簡単な計算上のミスだ。
    ところが、女監督の現場での描き方や、大道具役の演技など、クスッと笑えるシーンは巧みさも感じられる。老人ホームでのシーンもあからさまにゾンビ映画だったが、それよよい。さらに映画好きだったら、しっているシーンの吹き替えがそこここにあったのだと思う。
    見終わったあとの評価は、5点満点中2.5点だが、こうして分解してみると、この映画の製作プロセスがかなりハチャメチャで悲喜劇だっただろうと推測されて、おおいに堪能した。
    ちなみに、こんなに大俳優が出ているのに、アメリカでの公演も「キラー修道女」と比べて遜色がなかったようだ。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 ジョージ・ギャロ
    公開 2021年6月

     

    評価
    2.5/5

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  • オクラの種まき

    オクラの種まき

    オクラの種まき

    まず、去年のオクラから種を採取。
    発芽温度は地温が25から30度というから、かなり高い。
    もちろん、早めに蒔いてもよいが、当のオクラは、時期がくるまでじっと待って発芽する。
    それを知らないから、蒔いたはずなのになかなか芽がでないので、忘れて草ぼうぼうになったころ、そこに突然あらわれて、頭の中の古い記憶を刺激される。

    (写真1)

    (写真2)

    (写真3)

    © 2021.Hiroshi Sano

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  • シジュウカラの巣箱 穴のサイズ

    シジュウカラの巣箱 穴のサイズ

    シジュウカラの巣箱 2.8センチの入り口

    シジュウカラの巣箱の穴のサイズは直径2.8センチメートル。
    これ以上だと、他の鳥、例えばスズメが入り込んでしまう。これ以下だと、シジュウカラは出入りできない。
    例えば写真1は、昨年設置した巣箱で、穴の大きさは2.9センチから3センチだった。

    (写真1)

    シジュウカラは巣作りを始めたものの、スズメが入りこんだので、以後巣作りをやめてしまった。
    そこで、四角い板に穴をきっちり直径2.8センチでつくって、既存の穴の上に貼り付けようという作戦だ。

    (写真2)

    ある程度までは、ドリルの「穴あけノコ」であけて、あとは、ノギスで直径をはかりながら、小刀で2.8センチになるまで根気よく開けていく。

    (写真3)

    © 2021.Hiroshi Sano

    © 2021.Hiroshi Sano

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  • 映画『地獄の花園』

    映画『地獄の花園』


    (C) 2021『地獄の花園』製作委員会

    映画『地獄の花園』

    OLの社会には、カタギと、その筋のOL、という2種類がいるらしい。
    主人公の永野芽郁が、ふつうのOLであることを楽しみに会社に通っているが、ある日の更衣室で、ぶっ飛ばされるOLが、ロッカーをへこませる、という惨事に遭遇する。
    というところから、映画は始まる。
    「その筋」というのは、かつて暴走族だったり、ヤンキーだったりエトセトラ、だったりということらしい。その彼女らが、社内はもちろん、会社の枠を超えて、抗争を繰り返して、だれが最強のトップなのかを決めようとしているらしい。
    映画の半分は、そうした女子プロレスリングの世界で、はでなアクションシーンがつぎつぎに続く。
    菜々緒は、ここぞとばかりみどころをつくるし、大島美幸が意外にはまっているのがおかしい。
    ただ役者をそろえているわりには、花園の花を感じることろが全くない。映画の出だしの3カットくらいで、フツウの会社の部分がチャチだし、あこがれの森崎ウィンはぼんやりしてステキさがゼロだし、全体の計算欠如が露呈する。
    ただ、このところ激高もの役がつづいているせいか、広瀬アリスだけが、息遣いの荒さがつたわってきて、だれが主役なのか迷うほどだった。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 関和亮
    公開 2021年5月

     

    評価
    3.4/5

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  • 映画『ローズメイカー 奇跡のバラ』

    映画『ローズメイカー 奇跡のバラ』


    THE ROSE MAKER (C) 2020 ESTRELLA PRODUCTIONS – FRANCE 3 CINEMA – AUVERGNE-RHONE-ALPES CINEMA

    映画『ローズメイカー 奇跡のバラ』

    さわやかな小品の映画。テーマはさりげない奇跡。
    フランスらしい意味不明の冗談らしいやり取りがあるが、それも含めて、バラの好きな人、農村を楽しみたい人には憩いのひと時だ。
    新しい品種のバラの育成に執念をもやす主人公は、それ以外ならふつうのおばさんに見えるカトリーヌ・フロ。たんたんと執念をもやして月日がたった果てに、ある出来事が起きてハッピーエンドとなる。そのことを、映画の中で、奇跡と呼んでいるのかどうか、フランス語が分からないので不明だが、ひょっとしたら、日本語タイトルをつけた人の先走りかもしれない。
    むしろ、奇跡などとよばずに、ただそういうことが起こりましたよ、程度のほうが、映画としては深みを増すように思った。
    ここの塩梅を説明するのはなかなか難しいが、たとえば原題は「la fine fleur」だが、そうなんですよ、というほうが、昔の日本語でいう「いとおかし」の世界、というか、奥ゆかしいおかしみの世界と言えるかもしれない。
    カメラや編集や演出にもゆきとどかない欠落感があって、たぶんこちらの感受性の欠落が対比されるような仕方で顕在している。
    掘り下げていくと、フランスが抱えている人種や文化や性差などへの複雑な感情も下地にあるようにも見える。
    そう考えると、映画の出だしが、「Red Roses for a Blue Lady」という英語の歌で始まるのは、バラを国花としているイギリスへのご挨拶ともとれるし、最後に主人公が目をかける若者が調香師として旅立つのは、香水の国フランスの矜持ともとれる。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 ピエール・ピノー
    公開 2021年5月

    評価
    3.4/5

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  • 映画『ファーザー』

    映画『ファーザー』


    (C) NEW ZEALAND TRUST CORPORATION AS TRUSTEE FOR ELAROF CHANNEL FOUR TELEVISION CORPORATION TRADEMARK FATHER LIMITED F COMME FILM CINE-@ ORANGE STUDIO 2020

    映画『ファーザー』

    不条理なことが次々に起こる、そういう映画、という見方をすれば楽しみ方がひとつ増える。
    多分、一番初めのカットあるいはシーンと、最後のカットが現実レベルの話。あと中間にも娘のシーンで現実レベルがあるかもしれない。
    その他は、すべて、娘、介護人、義理の息子、フラットといった要素が、不条理に組み合わせをかえて登場する。
    以前、イギリスのテレビドラマで不条理を題材にしたものを見て楽しんだ記憶がある。それはかなり前で、私が子どもの時だ。子どもは結構不条理なものを素直にうけいれるのだ、というのが振り返った今の印象だ。
    それはさておき、サイエンス・フィクションなどでは、不条理そのものがテーマになることもある。不条理というのは、あるものからあるものへと理由づけられることなく飛躍してしまうことだ。その飛躍の間隙にこそ面白さを感じてします。そしてさらに言ってしまえば、その間隙の面白さこそ、映画そのものなのだ。
    映画の申し子ともいえるアンソニー・ホプキンスが、不条理をテーマとした映画の主人公となることこそが、この映画の真髄なのかもしれない。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 フロリアン・ゼレール
    公開 2021年5月

    評価
    3.6/5

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  • 横溝正史『呪いの塔』

    横溝正史『呪いの塔』

    佐野 ヒロシ

    横溝正史『呪いの塔』

    横溝正史『呪いの塔』

    あえて「ひまつぶし」と呼ばせてもらうが、そのココロは「つぶし」を最大に強調したいところにある。ブルドーザーのような力でみごとにヒマがつぶされていった。

    列車に乗って軽井沢に向かう出だしから、筋立てがくっきりして、むだなく引き込まれる。本格探偵小説と銘打っているらしくて、その名に恥じないという心意気が興をそそる。なにしろ、百年前の小説、1920年に書かれたらしいが、全く今日にでも通用する。大正時代から戦前にかけての特殊な時代の賜物かもしれない。

    列車が軽井沢について、主人公が別荘にトランクをおろすところから、いよいよ探偵小説の始まりである。登場人物、なぞの展開、描写のすべてが、無駄なくそそられる。プロットはいまでも通用するし、たぶんテレビドラマなどでは、繰り返し似たような設定で、われわれの目に触れているに違いない。

    主人公がやたら座敷で寝そべるのが、ゆいいつ違和感ともいえるが、豊かな畳文化が失われつつある今を思い起こさせてくれる。

    そんなこんなで、最後まで飽きずに読書の時間がたって行った。

    ただし、冒頭にもどるが、みごとにヒマをつぶしてくれたが、あとには何も残らなかった。

    (h.s)

    ©hiroshi sano


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  • 映画『ジェントルメン』

    映画『ジェントルメン』

    佐野 ヒロシ

    (C) 2020 Coach Films UK Ltd. All Rights Reserved.

    映画『ジェントルメン』

    手を替え品を替え、制作はしたが、いつものギャングコメディー。とはいうものの、お約束のどんでん返しは、規模は小さいものの、そここにあって楽しみは十分だ。

    マコノヒーの出る映画は、いつもひねりがあるので、そういうのを期待する人にとっては、ハズレのない映画のひとつになった。

    いくつか気になった点は、イギリス貴族の没落具合をやたらに皮肉った筋立てにしている点だ。

    アメリカ人の観客にとっては、あまく口当たりのよいキャンディーのような快感なのだろう。

    もうひとつきになったのは、対抗するマフィアのボスが中国人で、ヘロインを扱っている設定になっていて、一方のワルであるマコノヒーは大麻を密造しているのだが、中国人に向かって、人が死ぬ薬物じ世界を汚染しつづけている、というセリフを放つ。まってくれよ、アヘン戦争はいったい誰が始めたのか、と言いたくなる場面だった。

    (h.s)

    ©hiroshi sano

    監督 ガイ・リッチー
    公開 2021年4月

    評価
    3/5

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  • 映画『街の上で』はちょっと注目!

    映画『街の上で』はちょっと注目!

    佐野 ヒロシ

    (C)「街の上で」フィルムパートナーズ

    映画『街の上で』

    この映画の評が何日も言葉にならなかった。それほど印象深く、おもしろさも一筋縄ではない映画だ。映画作りが劇中に行われていて、そんな多重構造からの連想は、ホラーコメディー「カメラを止めるな」につながるが、観る方が受けたインパクトは「カメ止め」をしのぐ大事件だ。

    約5つの恋話が盛り込まれていると思う。前半散りばめられるそれらの恋の伏線が、後半うまく結実して、多少の映画好きなら観て損はない。

    中盤、劇中の映画監督が映画論をちらと語り、場面がかわって、主人公が、ながながしい恋話のやりとりをする場面があるが、それらがワンパッケージだとすると、ここを中心に映画の撮影を進めたのかもしれない、といった、映画を分解する別の楽しみもある。

    なによりスゴイのは、登場するすべての脇役のバランスがよくて、あたりはずれが無いということだ。

    出だしは、暗い気分の表現だから、うっとうしいが、全体を観れば、面白み満載の映画だと思った。

    ただ蛇足ながら、主役の脱力系はこの映画の柱ではあるが、最後まで脱力は、この映画の印象度を時間とともに浸食している気がした。(どこかで、強い見せ場があってもよかったかも)

    (h.s)

    監督 今泉力哉
    公開 2021年4月

     

    評価
    4.3/5

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