投稿者: 佐野ヒロシ

  • 映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』

    映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』


    映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』

    なんとなく軽い映画の印象で見始めたが、よくよく考えれば、女性の情念がずっしりと伝わってくるおもしろい映画。
    なんといっても、夫役の柄本佑が出色の出来だ。いつもの柄本なのだが、ここではさらにぴったりで、ドキドキさせるという牽引役を見事にこなしている。黒木華は、のっぺりとした印象で劇中では、映画的な感情の起伏には貢献しないが、観終わってみればしっかりと役をこなしていた、というずっしり感を残していた。
    どんでん返し的な展開が、いくつかあって、最後の最後まであったというのは見事だと思う。
    ただし、風吹ジュンが演じるお母さんは、各シーンで伏線を張る役目も担っているらしいがほとんど不発だった。
    また、出だしの数分は画面もセリフも不自然で、その不自然さにも意味をこめているらしかったが、不発どころか、不自然そのものだったので、減点になると思う。
    総じて、しずかに進む展開の中には、不十分なシーンがあったとしても、しっかりとした構成と漫画家に関しては妥協しない姿勢があって、いい映画になっていた。

    ©hiroshi sano

    監督 堀江貴大
    公開 2021年9月


  • 映画『シャン・チー』

    映画『シャン・チー』


    映画『シャン・チー/テン・リングスの伝説』

    分かりやすく(意地悪く)解説すれば、場面の場所が次々にかわって、その場所で同じメンバーで闘い合う、というプロレスの世界興行につきあうような映画。
    もちろんファンタジーあり、ユーモアありで楽しませてくれようとしているのだが、筋が一本見通せないので、お楽しみ付録の連続になってしまっている。
    唯一の取り柄は、主人公の父親が母親と恋におちいるシーンの母親役の女優の美しさ、だろうか。

    ©hiroshi sano

    監督 デスティン・ダニエル・クレットン
    公開 2021年9月


  • 映画『ドライブ・マイ・カー』

    映画『ドライブ・マイ・カー』


    映画『ドライブ・マイ・カー』

    気持ちよく観終わることが出来た。
    チェーホフの戯曲「ワーニャ伯父さん」が枠組みとなっているようだ。
    出だしからの何分間かは、夫婦の心理サスペンス的な展開の中でセックスが描かれていて、妻の不貞のシーンなどもある。
    そして、タイトルが出て、いよいよ本編の「本編」が始まる、といったところで、ギアが一段おとされて、ゆるやかな流れとなっていく。
    タイトルが出た後の映画の流れとしては、不貞の結実がどうなっていくのか、というのと、ワーニャ伯父さんの舞台の終幕を手話をまじえて見事に完結させる、ということと、この映画の題名の、主人公の車を代行運転する女性ドライバーの生い立ちをたどって北海道まで行く、というのがある。
    それぞれがからみあって一つの映画となっているわけだが、これらの流れにそれぞれクライマックスというか結論めいたシーンが与えられている。
    分かりやすく言えば、主人公のおとしまえ、ドライバーのおとしまえ、ワーニャ伯父さんのおとしまえ、が描かれた映画、とでも言えようか。
    どのおとしまえもありきたり感が否めなくて、やや気落ちしたが、皮肉なことにワーニャ伯父さんの最後のシーンだけは、手話にもかかわらずというべきか、手話だからこそ、というべきか、演じた女優の演技力が伝わるようで印象深かった。

    これはまったく蛇足だが、冒頭主人公が乗っている車がサーブ車で、なにが気に入って、という説明もなく登場している。ところが、最後の最後、広島から雪の早い北海道にこの車でたどりつくシーンではじめて、北欧製の車だから可能、という暗喩があることが分かる。映画上ではまったく小道具的な判断で、選ばれた車、ということになってしまった。

    ©hiroshi sano

    監督 濱口竜介
    公開 2021年9月


  • 映画から生まれた映画『オールド』

    映画から生まれた映画『オールド』


    映画『オールド』

    今回は、もし人間が一日で50年(?)も歳をとってしまったらどうなるのか、というのがお題で、それに対するシャマラン流の回答がこれだ。
    映画らしい映画!とまず思ったのは、ドキドキ感や、観た後の感興など、シャマラン監督が発明したサスペンスが新鮮で健在だ、と感心もし感銘も受けたからだ。
    バカンスを楽しみに来た複数の家族が、すばらしい場所だという誘いにつられて、秘密のビーチにやってくる。
    そこは切り立つ岩山に囲まれた美しい場所で、来た当初はそれぞれが気に入って海と砂浜を楽しむが、そのうちに異変がやってきて、家族たちは混乱に陥っていく。
    なにしろ30分で一年分歳をとってしまうのだから、6歳だった息子は、後から遅れてきた家族からみたら、どうみても11歳になっていて、11歳だった娘は16歳になっているのだ。ここからが、混乱と恐怖で、いわゆる映画のお楽しみの部分、というか饅頭のあんこにあたる部分だ。
    シャマラン監督の映画たちは、始めに平穏な日常があって、次に人間の心理のスキをつく恐怖感のようなものがあって、謎解きがあり、結末に至るという流れだ。サスペンスや恐怖、さらに不条理は、謎解きというか隠されていたものの開示によって、ある意味知的なフィルターに浄化されてしまうということがあって、独特の後味で劇場をあとにする。ここが、他の多くの恐怖を極めるスプラッター映画とは違う部分だ。
    と、じつはここまでが、これまでのシャマラン映画の面白さだったと思う。
    これまでのシャマラン映画は、どちらかと言えば脳みその前頭葉の部分の体操のような趣があって、こころの部分や教訓めいたものが少ない。
    今回は、めずらしくその教訓めいたものがあってこころに沁みた。

    これ以上は詳しくは書かないが、ちょっと脇道にそれてシャマラン監督をおちょくらせてもらえば、自分の映画にたびたび登場するナルシストのシャマラン監督が、浜辺の監視役として自分が登場するシーンが気になって、その直前の、今しかない老夫婦の大事な会話のシーンの編集をやや印象の薄いものにしてしまったのではないか、と危惧している。
    ただ、はじめに書いた映画らしい映画!、にもどると、私たちは、映画を観るたびに、じつは観ている間の時間(たとえば1時間半とか2時間)に、他人(登場人物)の数十年の人生を目撃するのにはなれているはずだ。
    ひょっとすると、シャマラン監督は、映画の中で起こる数十年を、閉じ込められた浜辺でとぎれなく起きたらどうなるのか、と考えたのかもしれない。
    もしそうなら、この映画は、映画の中から生まれた映画、と言い換えてもよいかもしれない。

    ©hiroshi sano

    監督 ナイト・シャマラン
    公開 2021年9月


  • 映画『ザ・スーサイド・スクワッド』

    映画『ザ・スーサイド・スクワッド』


    映画『ザ・スーサイド・スクワッド』

    子どもにはおすすめできないし、一部大人にも、陰惨な殺戮が多いので、おすすめではないかもしれない。
    けれど、このSFチックで、ファンタジーっぽい映画が、あえて表現を探せば、ぶっ飛んでいる!、というのがぴったりだ。
    その中身だが、見る側の展開の期待を裏切るシーンが、数回はある。ただし、その期待の裏切り方が、おおよそ殺戮によるのが残念だ。
    作る側の悪ふざけも頻繁にあるが、度が過ぎていないのがいい。
    映画を展開させていく強力なモーティベーションがいくつかあって、娘を人質にされて隊長を引き受けさせられた武器に詳しい男と、ネズミを操る少女との約束の取り交わしが印象的だ。
    もちろん、どんな状況でも生き延びてしまうハーレイ・クインのお約束ごとは最強だ。
    その他、アメリカが隠し続ける宇宙生物の培養施設を敵の手に渡さないミッションなどもある。
    中身が充実している、という意味でも強みを持った映画だ。
    これは本当に偶然だが、あの『ジョジョ・ラビット』のタイカ・ワティティがネズミつかいの少女の父親役で出演していたのも、うれしい驚きだった。
    これは蛇足だが、アメリカの現実が、茶化された殺戮の中に投影されているような気がする。

    ©hiroshi sano

    監督 ジェームズ・ガン
    公開 2021年8月

    © 2021.Hiroshi Sano


  • 映画『返校 言葉が消えた日』

    映画『返校 言葉が消えた日』


    映画『返校 言葉が消えた日』

    ひとことで言えば、悲しい映画。
    主人公の少女の心象を、あえて言えば、ホラーとして描いているということだろうか。
    少女のチャン先生への想いと嫉妬が、あるきっかけで、陰惨な殺戮へとつながっていく。事件は蒋介石の台湾で、共産党に対しての警戒が強かった時代、思想統制が行われているという前提で、自由を信じている教師と生徒が摘発されてむごい死を迎える。
    前半は密告者は誰か、という謎解き。中盤から、主人公の生活や、関わる人たちの人間模様が描かれる。この映画に期待して観に行った人は、私と同じように台湾映画に垣間見えるノスタルジックな空気感を期待したかもしれないが、後半にやや報いられるが全体的には薄い。
    最後に用意されたオチの場面も、カタルシスにはほど遠い。
    もともとゲームを元にした映画だ、と言われればそれまでだが、少女の境遇の悲しさだけが残った。

    ©hiroshi sano

    監督 ジョン・スー
    公開 2021年8月


  • 映画『フリー・ガイ』

    映画『フリー・ガイ』


    映画『フリー・ガイ』

    いきなりゲームの世界の中から、あたかも日常が始まる。
    ゲームの世界には、ある種、背景の人物であるモブキャラというのがつきものらしい。そのモブキャラがAIによって自律成長をはじめたらどうなるか、というのがこの映画の筋立てだ。面白かった。
    こうした映画は、科学的な合理性に合致するようにいくつかの矛盾を解決しなければならないが、そのあたりはクリアをしているのだろうかと期待がつづく。あとは、暴れまわって、できれば恋もして、というのが、展開に望まれるところだ。そのあたりは、テンポよくつぎつぎにクリアされていく。いくつか哲学的(正確には一か所か)なセリフもあって、知的な満足も用意されている。

    最後にビックリな発見だったが、私の一押し映画『ジョジョ・ラビット』の監督で主演のタイカ・ワティティが、癖のある悪役で出演していたことだった!
    この映画の空間もさることながら、ワティティのいる枠を飛び越えた空間の存在にうらやましさを感じた。

    © 2021.Hiroshi Sano

    監督 ショーン・レヴィ
    公開 2021年8月


  • 映画『明日に向かって笑え!』

    映画『明日に向かって笑え!』


    映画『明日に向かって笑え!』

    面白い。正統的な映画。
    アルゼンチンの政治や経済の事情がやや分かりにくいバックグラウンドとなっているが、それもはじめの数分間がすぎれば、まっとうな犯罪映画になっている。
    きちんと伏線をおいて、はらはらさせながら展開していくのは、なんとまっとうな映画だ、と感心させられる。
    登場人物が、自分たちはペロニスタであり、無政府主義者であり、奪われたものを自分の力で取り戻す、といって、これから行うある犯罪行為を正当化する。このメンタリティーの陰影が、アルゼンチン映画らしいということもできる。

    監督 セバスティアン・ボレンステイン
    公開 2021年7月


  • 映画『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』

    映画『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』


    映画『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ! 花の天カス学園』

    お約束ごとのオシリぷりぷりが数回出てくるのはご愛敬で受け取るとして、しんちゃんのすごさは、友達同士はもちろん、家族、世間、その他とのダイナミズムだ。
    「その他」が何かで、映画のテーマが決まるのだと推測するが、今回は学園という閉じ込められた空間が、やや映画の勢いをそいだのではないかと思った。(そんなに熱心な観客ではないが、かといって、なにも期待していないわけではない)

    監督 高橋渉
    公開 2021年7月

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  • 映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』

    映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』


    映画『サイダーのように言葉が湧き上がる』

    映画のシチュエーションは、どこかの地方の畑の中のイオンモール(?)に設定されている。モールの中に高齢者のデイサービスがあって、主人公は臨時のバイトでそこに勤めている。
    モールだから、いろいろな人が出会う場所になっていて、そのいくつかがピックアップされて、映画の構成要素になっている。ただし、この映画では、単に「描きました」的になっていて、観る側のテンションが下がる。
    最後に、主人公が、音楽にあわせて自作の俳句を次から次に朗詠するのが、意外とイケてた。
    高校生たちに、俳句が広まっているというのが、前提の映画のようだが、世相を教えてもらった。以上。

    監督 イシグロキョウヘイ
    公開 2021年7月