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WIRELESS ME 誰にも聞けない超入門!
RODE WIRELESS ME は手ごろな価格で高性能のワイヤレスマイクロホンですが、最近のどの機器と同様、とっかかりでつまづく方もいるかもしれません。使用者の目線で使いこなす手順を踏んでいきます!最後まで見れば、思いがけなく得するかも!
検索を賢くつかう!
まずはGigazineの2022年のこの記事を読んでほしい。
主要な部分を抜粋しよう。
「もはや検索は不真面目で信用できないものになっている」ということを、IT系ブログDKBが指摘しています。
(中略)
事実に基づく情報に関しては、まだまともな結果を出しているが、レビューやレシピを検索した場合には、「アフィリエイトリンクと広告で埋め尽くされたSEO最適化されたサイト」ばかりがヒットするとDKBは指摘します。”
この弊害は最近、日本の消費者庁が、SEO最適化で検索で上位に出てくる水漏れ対策の水道工事屋さんから、法外な請求をされた、という訴えが多いので、国民に注意をうながした、という事実に表れている。
つまり、検索上位にならぶサイトは必ずしも、誠実さで上位に来ているのではない、ということだ。
さらに抜粋すると、
Google検索がこのような「死にかけ」と呼ばれてしまう原因として、DKBはまず「広告」を挙げています。本来、検索結果の上位には、検索したフレーズと関連性が高く、質の高いページが表示されることが望ましいにもかかわらず、広告によってその競争が崩れてしまいます。”
そうなんだよなぁー
この記事では Reddit が最近検索に使われることが増えていると指摘している。
©hiroshi sano
とても面白かった!
(著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。
浜辺美波をはじめて見たのは、映画「君の膵臓を食べたい」だった。
当時人気の原作のこの映画での役柄は、明るくふるまう不治の病を抱えた高校生で、死を迎える前にかなえたいことどもを、同級生男子の助けを借りて、というか、半分無理やりに次々とかなえていく物語だった。その無理やりに、という部分で、主人公たちの間にあつれきがあって、それを乗り越えるために、浜辺美波はやや、ぶりっ子ぶりを演技に加味していた。
次に印象的だったのは、NHKのドラマ「ピュア!~一日アイドル署長の事件簿~」だった。主人公は、売れない腹黒のアイドル、黒薔薇純子という設定で、独りよがりのナルシスト刑事役の東出昌大とのでこぼこコンビで、事件を解決していくい内容だった。腹黒アイドル、という設定が絶妙で、妙に浜辺美波にフィットしていた。
そして、今回の「ホワイトドクター」である。
(つづく)
(h.s)
©hiroshi sano
評価
4/5
© 2021.Hiroshi Sano
(著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。
鎌倉で、雪ノ下や二階堂などはよく知られた地名だが、八幡宮の東奥に広がる浄明寺も趣の深い地域である。
滑川をはさんで、北と南に平地が広がっていて、南側には竹寺で有名な報国寺、そして北には鎌倉五山の一つ浄妙寺がある。
平地といっても、広いものではないが、山に囲まれて、人々が静かに、しっかりと生活を営んでいるといった印象の場所だ。
位置関係についてもう少しふれると、このあたりで深くえぐれた滑川沿いを、東にさらにたどると、山を越えて、東京湾側の金沢八景に続く、昔から往来のあった場所だ。
さて、浄明寺への行き方だが、一番簡単なのは、駅前からタクシーに乗って「稲荷小路へ」というと、運転手さんは心得て、狭い路地をはいり、上述の北側の平地のちょうど中央のあたりに連れて行ってくれる。
稲荷小路が実際はどの道か知識はないが、山際のせまい道をたどれば、山からの水路と交叉するあたりに、いかにも古い道祖神がある。
その道祖神は巨木の根本に埋め込まれたかのように収まっており、正面は、つい数年前まで、水田がひろがっていて、夏になると、カエルの鳴き声でにぎやかだった。
稲荷小路の西には向小路、東は御所の内という地名が最近まで残っていて、御所の内には、今でも、鎌倉時代の著名な武士にたどれる家がある、と聞いたことがある。
しかし、なんといっても楽しいのは、駅前からさまざまな道をたどって、そこまで行くことである。
鎌倉にはまっすぐな道とクネクネの道がある。かりにクネ道と呼ぶことにしよう。
まっすぐな道の代表格は若宮大路で、鶴岡八幡宮から海にむかってかなりの幅で向かっている。そのほかにも小町の商店街もまっすぐだが、目立つのは鎌倉宮こと大塔宮への参道も長く細くまっすぐだ。さらに、それと斜めに交叉する荏柄天神への参道もまっすぐなのが、なんとなく気がかりだ。
クネ道は、若宮大路から一歩はいったところに見つけることが出来る。
現在のJR系のホテルの裏あたりからつづくこの道は、生垣に囲まれた平屋が多い懐かしい住宅街で、最近まで、作家の大仏次郎や評論家の小林秀雄や音楽評論家の吉田秀和がすんでいたが、相次いでなくなると、大仏次郎邸を除いて、家もなくなってしまった。しかし、人の往来は今も昔もかわらず多い。
(つづく)
(h.s)
©hiroshi sano
© 2021.Hiroshi Sano
(著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。
(C)NHK
昨日(2021年12月18日)放送されたドキュメンタリー。
たまたま見始めたのが、弟が、兄伸一さんの遺体の場所を語りはじめるシーンから。
状況は最近テレビでよく見るゴミ屋敷風の室内。両親の遺影が出てきて、家のそこここに残された父親の日記や兄のとおぼしきメモなどをたよりに家庭の歴史を振り返っている。
最後の方のシーンに、市役所の福祉関係の職員と庭先で話す生前の伸一さんの真面目そうなやり取りが出てくるので、このドキュメンタリーがかなり以前から(たまたまだろうが)始まっていたのが分かる。
主に、父の日記には、たぶん数十年前、「明るい家庭を創る」と目標が書かれている。そして番組としては、その目標とちがった家庭のあり様を描き出している。
日記をもとに話はすすんでいくので、伸一さんの描写や、それに対する父親の苦悩が番組の太い流れとなっている。
そこから浮かびあがってくるのが、「父源病」という言葉だ。かつて「母源病」という言葉が流布して、しかしやがて使われなくなってしまったことがあったが、この番組が意図したのは、父の存在が伸一さんの生涯を「ゆがめて」しまった、というテーマがじんわりと浮かびあがってくる。
と、ここまでが、この番組を見た印象の忠実な記述だが、いろいろ思い返すと、オヤ?、違うのではないの、という引っ掛かりだ。
伸一さんは、最後まで英語を勉強していた様子があって、わかりやすい字で、英語の慣用句を羅列している。また弟さんの証言のなかで「近くの米軍基地のアメリカ人」が多くいる街中で、アメリカ人との交流を楽しんだかもしれない、というのもある。
また、タクシー運転手をしている弟さんは、運転中、自宅付近で、伸一さんをしばしば見かけていて、伸一さんも弟さんに視線を返している。
それは番組中、1パーセントにも満たない時間の中で処理された伸一さんにまつわる情報だ。
この番組は、「父源病」を浮かび上がらせるかもしれない、という意味で重要で意味があると思うが、一方で、困難な状況のなかで、自分なりに矜持をたもって明るい光もみながら生き抜いた伸一さんのことも忘れたくないと思うし、機会があれば掘り起こしてもらいたいものだ。
番組の最後で、伸一さんが助けを求めていた、と振り返るシーンがあって、弟さんと、いとこの方が、「生き抜いた」といった意味の結論づけをしていたのは印象的だ。
最後にもうひとつ付け加えれば、伸一さんと接したことのある人々の印象は、番組のトーンの重さとは異なって、軽さを感じさせることだ。これは、実際に番組後半になって登場する56歳の髭だらけの伸一さんが与える印象とも一致する。
そういう意味でいうと、伸一さんの存在そのものが、番組の重い底流を押し上げて、おれはそんなものではないよ、と言っているかに思えた。
再放送の機会があるので、見逃した最初の部分をぜひ見てみたいと思う。
©hiroshi sano
公開 2021年12月18日放送
(著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。
(C) 2021『あなたの番です 劇場版』製作委員会
クリスティの「オリエント急行殺人事件」のような、密室殺人事件を思わせるような趣向の映画だが、眼目は殺人の方法よりは、犯人と動機。
原案の秋元康の作品は、「NG」というテレビドラマが面白かったので、この映画も期待して観に行った。舞台は外洋に出れる大きな船の中。
シリアスな推理ものではなくて、密室殺人をネタにした、ハチャメチャ劇に近いが、すごいところは、きちんと整えるべきところは整えていること。狂言回し役の田中圭もあと少しで過剰、というレベルで抑えられていた。
多用な人物が登場するが、ちょうど将棋の駒のように役割を与えられていて、全体の枠にきちっと収められている。たとえば、犯人には特異な性癖があるが、それを説明する駒役がいるといった具合。
この映画の予告編にはまったく食指が動かなかったが、本編には安易さがなかったのは意外だった。ご都合主義的な駒もあったがそれも必要。
冒頭の険悪なマンションの管理組合の会合から、なぜ急にそのメンバーが船上の結婚式パーティーにいるのかも、映画にとってはなんでもアリの切り札だと教えてくれる。気楽に観ればいいのだ、という思いで席についたが、最後まで裏切られることなく観れた。
©hiroshi sano
監督 佐久間紀佳
公開 2021年12月
ファッショナブルなホラーでサスペンス。
出だしは、60年代が好きなヘプバーン似の女の子が一人で踊るイキなイントロ。前知識が全くなく観始めたので、楽しい展開がこのあと待っているのだろうと、軽く期待した。ところが、牧歌的なコーンウォルの田舎から、ロンドンに出てきたところから,変調していく。
それでも、多用される音楽は、60年代の(希望に満ちた時代の)ヨーロッパのヒット曲なので、主人公に起きている異常も、大都会ロンドンに感じる違和感程度に納得して観続けてしまう。
中盤から、異様がサスペンスとホラーに向かってどんどん進化して、ゾンビ映画の域にまで達する。ホラー映画は好きではない私がこうしたシーンを乗り越えられたのも、映画の緻密な仕掛けにおうところが多い。
一つは、謎解きのサスペンス。最後に意外なナゾが明かされる。
もう一つは、主人公が、もう一人の悲劇の主人公によりそい続けたこと。これに関しては、主人公のやさしい共感が、もう一人の主人公の心を動かすかもしれない感動の設定が出来た可能性があるが、この映画ではあえてそこはパスしていた(結構大切な点。ネタバレになるのでこれ以上は言えない)。
さらに一つ、細かいことだが、悪人ばかりの殺された亡霊たちが実は助けを求めていた、という軽いオチがあった。
最後は主人公のあかるい未来で終わるので、後味はよい映画だが、クライマックスに向かう下降線がやや単純な気がした。ユーモアや、主人公の人間的な深みを見せるシーンなども用意したら、傑作になっていたかもしれない。
ところで、主人公はロンドンで、服飾デザインの学校の生徒になるのだが、その中で、60年代のファッションやハサミやピンが巧みに使われていて、それだけでも良質な映画と言えるかもしれない。
追記 今知ったが、主人公役のトーマシン・マッケンジーは、なんと私の一押し映画「ジョジョラビット」で、壁の中のユダヤ人少女役で出演していた。上述の批評を書きながら、じつは「ジョジョラビット」のユーモアについて考えていた。スカーレット・ヨハンセンは、役作りに余白というかゆとりを感じさせていたが、トーマシン・マッケンジーは、一途な壁の中のユダヤ人少女役から、まっしぐらに「ラストナイト・イン・ソーホ」に飛び込んできた印象だ。そこがちょっと歯がゆい。(そしてさらに、もう一人の女優、アニヤ・テイラー=ジョイは、いまや押しも押されぬ人気女優になった。(2024年追記))
監督 エドガー・ライト
公開 2021年12月
(C) Dream Warrior Pictures (C) Vivekananda Pictures
刺されても蘇り、瀕死の体の上に十人(?)の賊が覆いかぶさっても、こぶしの一突きで蹴散らしてしまう、これぞヒーローの王道をいく映画!
一番初めのシーンがマザーテレサの孤児院から始まるので、思わず背筋をのばしながら見始めたが、次のシーンは警察の特殊部隊による麻薬の押収と、ギャング内部の内通者さがしや、悪徳警察幹部の登場などがあって、いよいよギャングの反撃が始まる。とここまでが、ヒーロー登場までの前段階。
この類の映画だと、単身敵陣に赴くヒーローという設定を何度もみたが、この映画は闘いの場所が、竹林だったり山の上だったり、警察署本部だったりする。しかも、一夜の出来事という設定なので、いつも暗くて分かりにくいが、それはそれでスリルを醸し出すのに必要だったのだろう。
主人公は刑期を終えた囚人で、行方不明だった娘に会いに行く途中だった。
本来ならば、明朝10時の約束で娘にあうはずだったが、運悪く、毒を盛られて、かつ今にもギャングの復讐を受けそうな警察官の一団をトラックに乗せて、病院に運ぶはめになってしまう。
危機に陥るたびに、娘との再会を思って奮い立つシーンが出てくるが、それもいやみなく、かつ全体のトーンのなかで、人間臭さを程よくだして、ヒーローがヒーローたる所以を説明していた。
しかし、こんなにすごいヒーローなのに、その活躍の報酬があまりにも少ないのは、インド的な世情なのか、とちょっと悲しくなる。
最後のシーンも、車がビュンビュン通る6車線の高速道路をとぼとぼと歩く主人公の後ろ姿だった。
(h.s)
監督 ローケーシュ・カナガラージ
公開 2021年11月
© 2021.Hiroshi Sano
(著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。
(C) 2021 映画「そして、バトンは渡された」製作委員会
いったい何がテーマなのか分からないまま観た。途中、自由に生きる、ということかな、とも思ったが、違っていたし、結論を言えばテーマなどと小難しいものはなかった。
題名はそもそも誤解招いていた。強いてつけさせてもらうなら、「デタラメ女と泣き虫娘」がぴったりだと思う。映画の結論もこの題名なら、十分に効果的に伝わったと思う。
最後の方に、フラッシュバック的に、いろいろな事情が説明されるが、遅すぎる。そのころには観ている方は、映画の不備だと勝手に納得してやや惰性的に観ることになる。
監督 前田哲
公開 2021年11月
© 2021.Hiroshi Sano
(著作権)オリジナル画像の著作権の侵害を意図するものではありません。