映画『ドリーム・シナリオ』
ああ、ニコラス・ケイジ。このキャラクターの強さが今後どう活かされていくのか楽しみな俳優の一人。そして、この映画で、将来その楽しみが約束された、と思う。
では、今現在のこの映画はどうなのか、とあなたは当然聞きたいと思う。
筋立てをひとことで言うと、凡庸な大学教授に晩年訪れた悲喜劇がもたらす哀愁の映画。前半は秀逸でほとんどウッディ・アレンの域、だが後半は、ストーリーの流れにトチ狂わされて後味悪いホラーの展開。だから、総合的にはがっかりするかもしれない。
しかし、それでも見る価値があると力説したいのは前半があるからだ。主人公のポールは生物進化学の大学教授。ちょっと片意地なところもあるが、二人の娘と愛する妻と普通の生活を送っている。このあたりは、ケイジは心底うまく職業教授を演じている。また妻を演じているジュリエンヌ・ニコルソンもケイジを含めて周囲の俳優たちの基軸となるような存在感をかもしている。娘二人のキャラクターも面白い。このあたりは、配役の妙といえるかもしれない。
悲喜劇のきっかけは、ポールが見知らぬ人々の夢の中に現れ始めることからはじまる。この発想はどうも映画「エルム街の悪夢」にあるようだ。私は観ていないので、どのように反映されているのか分からないが、ポールの娘がフレディみたいだ、と父親を揶揄するので、うかがい知ることができる。
はじめのうちは単なる傍観者的な存在として、他人の夢に現れている。
このことで、ポールは多くの人々の話題となり、昔のガールフレンドとの再会や見知らぬ人々との出会いが生れることになる。そのやり取りが見どころで、表面的な言葉とは裏腹の意味を含ませてやりとりされるのが面白い。
ニコラス・ケイジは、惚れたり惚れられたりする役が得意だが、どちらかというと感情の表出が直線的で、含蓄のある演技が得意には見えない。それでも、会話の面白さがこの映画では成り立っていて、そこには計算された配役の妙がここにもあると思った。
さらに特筆すべきは、カメラワークの巧みさ、あるいは編集の巧みさだと思う。出だしから、おや、と思わせるカメラワークに出くわしっぱなしだ。
それがクライマックスに到達するのは、ポールと、彼に気のある若い女性とのバーでのやり取りの場面だ。
女性から、夢の中のポールとしたセックスが最高だったと告白された後、酒をとりにカンターに向かうポールが、振り返る一瞬のショット。まんざらでもない気持ちと、格好つけた見返りのポーズ、が一秒にも満たないカットに表現されている。たぶん、これを編集した人たちは笑っちゃったのではないだろうか。あまりにもうまくいきすぎて。私も思わず笑った。
が、楽しい前半はここまでで、後は暗転していくばかり。
ケイジはプロデューサーでもあるので、ストーリーの展開に意向を反映させたと思うが、もしケイジが、含蓄ふかく演技できる俳優ならば、最後のペーソスの場面が印象深くこころに残る場面になったと思う。
だが、そうならずに、後味わるいソフトサイキック映画になってしまった。
多分ケイジにはこだわりがあって、それが、こうゆう映画にさせたと思うが、そのこだわりについては、また別にふれる機会がくるのではないか、と予想している。