映画『ラストナイト・イン・ソーホ』
ファッショナブルなホラーでサスペンス。
出だしは、60年代が好きなヘプバーン似の女の子が一人で踊るイキなイントロ。前知識が全くなく観始めたので、楽しい展開がこのあと待っているのだろうと、軽く期待した。ところが、牧歌的なコーンウォルの田舎から、ロンドンに出てきたところから,変調していく。
それでも、多用される音楽は、60年代の(希望に満ちた時代の)ヨーロッパのヒット曲なので、主人公に起きている異常も、大都会ロンドンに感じる違和感程度に納得して観続けてしまう。
中盤から、異様がサスペンスとホラーに向かってどんどん進化して、ゾンビ映画の域にまで達する。ホラー映画は好きではない私がこうしたシーンを乗り越えられたのも、映画の緻密な仕掛けにおうところが多い。
一つは、謎解きのサスペンス。最後に意外なナゾが明かされる。
もう一つは、主人公が、もう一人の悲劇の主人公によりそい続けたこと。これに関しては、主人公のやさしい共感が、もう一人の主人公の心を動かすかもしれない感動の設定が出来た可能性があるが、この映画ではあえてそこはパスしていた(結構大切な点。ネタバレになるのでこれ以上は言えない)。
さらに一つ、細かいことだが、悪人ばかりの殺された亡霊たちが実は助けを求めていた、という軽いオチがあった。
最後は主人公のあかるい未来で終わるので、後味はよい映画だが、クライマックスに向かう下降線がやや単純な気がした。ユーモアや、主人公の人間的な深みを見せるシーンなども用意したら、傑作になっていたかもしれない。
ところで、主人公はロンドンで、服飾デザインの学校の生徒になるのだが、その中で、60年代のファッションやハサミやピンが巧みに使われていて、それだけでも良質な映画と言えるかもしれない。
追記 今知ったが、主人公役のトーマシン・マッケンジーは、なんと私の一押し映画「ジョジョラビット」で、壁の中のユダヤ人少女役で出演していた。上述の批評を書きながら、じつは「ジョジョラビット」のユーモアについて考えていた。スカーレット・ヨハンセンは、役作りに余白というかゆとりを感じさせていたが、トーマシン・マッケンジーは、一途な壁の中のユダヤ人少女役から、まっしぐらに「ラストナイト・イン・ソーホ」に飛び込んできた印象だ。そこがちょっと歯がゆい。(そしてさらに、もう一人の女優、アニヤ・テイラー=ジョイは、いまや押しも押されぬ人気女優になった。(2024年追記))
監督 エドガー・ライト
公開 2021年12月